【大学受験の出願先を間違えた話】進路は迷うんじゃない、間違えるものだ
小寒末候・第69候。「雉(きじ)始めて雊く」 メスに愛を伝えたくてたまらないオスの雉が鳴き始める季節……だけど都会に雉なんていなくて、感じる風物詩と言えば受験。大学入学共通テストの日は雪が降る、なんてジンクスがあるけど、今年の東京は暖かかった。(週末の大寒に向けて一気に冷え込むみたいなのでご準備を。この冬は東京、雪降らないのだろうか)
人が人生で大学に出願する回数というのは、そう多くはないだろう。だいたいは1回とか2回ではないのだろうか。さて、そんな人生の方向性を決めるかもしれない大事なタイミングで、出願先を間違えた事はあるだろうか。
当方、昔からここぞと言うところで、盛大にやらかすクセがある。ビジネスホテルの受付バイトだと思って面接に行ったらラブホテルだったり、就職採用面接を1日間違えて忙しいお偉いさんを急遽応接室に呼び出したり、先日だと、ニューヨーク行きの空港内でパスポートと10万円(成田空港でドルに変えたので80ドルくらいだったはず)を置き忘れて、大変な目に遭った。(盗られた後に、歴史的な円安。私のお金を盗った人は、私がちゃんと成田空港で円をドルに換金しておいたことに感謝してほしい。)こんな調子で、人生の節目節目で、大きなトラブル旋風を巻き越してきた。
時は10年以上前、高校3年生。いわゆる受験生の自分は、正直大学進学にあんまり興味が無くて「どうしよう」と思っていたのだけれど、私の通っていた高校はほとんどの生徒が大学に進学すると言うことで、大学に進学する以外の人は、いわゆる“人権がない”状況だった。消去法で大学進学を選んだこともあり、大学に行って何を学びたいというのがこれと言って無かったが、せっかくお金を払って4年も費やすなら、大学でしか取れない資格が欲しいな、くらいには考えていた。
昔から興味がある分野は食と料理だった。ただ、「管理栄養士」は専門学校に行って、実務経験を積めば取得資格が得られるということを知り、何か別の学部を卒業した後、働きながら専門学校に行って取得しよう、なんて安易に思考えていた。(※今だからこそ誤解がないようにいうと、実務経験を積んで働きながら管理栄養士試験に合格するのは至難の業と言われているので注意。)一方で、心理学にも興味があった私は、大学院まで修了しないと取ることができない「臨床心理士」を取得できる学部も良さそうだなと見当をつけていた。(※これも今だからこそ誤解がないようにいうと、臨床心理士は資格の取得が大変難しいのに、日本では就職先があまりなかったりして、選択には相当な覚悟が必要。)
大学の場所は、家から通うには遠すぎるけれども、何かあったら家に帰ってこれる程度の距離の大阪にしようと思った。(私の実家は滋賀県)
あとは、浪人するお金の余裕はなかったので、現役で確実に合格できるところを選んだ。
結論、その年の私のセンター試験の結果だと、大阪府立大学と大阪市立大学が候補に上がった。そして、その2大学の違いが、私にはあまりわからなかった。
心理学を学べて、臨床心理士の資格の取得できるのは、
大阪府立大学だと、人間社会学部 人間科学学科
大阪市立大学だと、生活科学部 人間福祉学科
だったと思う。(※上記は当時の名前で、今もう色々変わってる、なんならこの二大学は合併して大阪公立大学という巨大大学になっている。というか、新キャンパスの森ノ宮キャンパス、想定外の埋蔵文化財や地下埋設物のみならず、さらに不発弾が発見されたことで開設延期してんの本当に面白いな)
日に日に出願締め切りが迫り来る。
迷いかねた私は、Google マップを開いて、家からの距離を調べた。すると、大阪市立大学よりも、大阪府立大学の方が少し家から距離があるように思えた。
大人になるということは、実家から離れて暮らすことだと思っていた私は、距離が遠いほうがより大人だと思って、大阪府立大学に決めて、出願届を書き始めた。
出願届を出してから、二週間後くらいだっただろうか。受験票が届いて内容を確認する。その時、私は致命的なミスに気づく。大阪府立大学人間社会学部人間科学学科に出願すべきところを、大阪府立大学人間社会学部社会福祉学科に間違えて出願書を出してしまっていたのだった。もう、今書いてても何が具体的に違うのかぱっと見わからないけれど、確実に言えるのは、まったく考えたこともない方向に自分の人生のアクセルを踏んでしまったのだった。
目の前が真っ青になるとはこのこと。大阪府立大学人間社会学部社会福祉学科。とりあえずすぐに、学べる内容と取得できる資格を調べる。社会福祉士、そして保育士。改めて、私が今まで私が考えたこともない職種が並んでいた。
とりあえず大学に電話する。「すみません。今年の受験生なんですけれども。単刀直入に申し上げまして、出願学部間違えたんですが。変更ってできませんかね。」電話に出た事務員の方も「はあ、、、ちょっと確認してみますね、、、」と少し驚いた様子。1分ほどの保留ののち、「すみません、いかなる理由があっても、出願学部の変更はできないんです、、、」と言われた。望みは絶たれた。
次の日高校に行って担任の先生に「先生、出願する学部間違えた」と報告した。もともとあまり表情が変わらない担任は、いつも通り表情を変えないまま、私の顔を見て一言言った。
「20年ほど教師をやってきて、そんな間違いをしたのはお前が初めてや。」
ああ、先生は本当にどんな時でも表情が変わらないんだな、ということと、ここで自分がしたミスが、本当に普通じゃないことを理解した。
まあ、そもそも、普通のミスってなんなんだろう。
何はともあれ、私は就職活動をしてきていたわけでもなかったので、このまま大学に行かなければ文字通りのニートになってしまう。多少なり、生きることに対して気力はあるので、とりあえず出願した大学を受験してみようと思った。
入試に面接とか志望動機とか、そういうのが聞かれるタイプの課題がなくて本当に良かったと思う。でも、合格したのに、頑張って良かったとか、そういう感覚が一切なかった。
そんなこんなで、うっかり全然考えたこともなかった学科に入学することになった。当時はまだミクシィが全盛期で、のぞいてみると早速入学年度の社会福祉学科のグループができていた。皆、コミュニティの中で、出身と、自分が社会福祉士になりたいのか、保育士になりたいのかを自己紹介していた。情報のキャッチアップのために入ってはみたものの、出願を間違えた私は、到底自己紹介できなかった。
オリエンテーションでも、できるだけ目立たないように後ろのほうに座った。とはいえども、学科の人数がそこまで多くないので、あまり馴染めてないと浮く。進路担当的な、学生の面倒を見る担当の先生達が後ろから挙動不審な私の様子を見ていたらしい。心配したのか「学生生活は楽しみですか」と聞いてきてくれた。ベースコミュ障の私はとりあえずどうしていいかわからなくて「私、学部間違えて入学したんです」となんの前置きもなく事実を伝えた。せっかくこの先4年間の学部生活をより良いものにしてほしいと声をかけてくれた教授に申し訳ない。目を丸くしてわたしのことをまじまじと見た。そして「そうなのね。この後、私の部屋に来れる?」と声をかけてくれた。
オリエンテーションが終わって、呼ばれた部屋に向かう。物腰が柔らかそうな教授がお茶を淹れてくれて、私の話を聞きながら、「まあ、そんなこともあるのねえ。」と言いながら「まぁ、人生は長いから。ここで勉強してたら、こっちに興味が出ることもあるかもしれないわよね。」と言った。後ろで、研究室に配属されている先輩達も物珍しそうに話を聞きながら、うんうんと頷いている。確かに、私もそうかもしれないと思った……
……けれど、前期が終わる頃に感じたのは、本当に、本当に素敵な仕事だと思うけど、もっとやりたいことが私にはあるかもしれないと言うことだった。その頃、同じ大学に、高校の同級生が入学して仮面浪人しているらしいという話を耳にした。来年も試験を受けるらしい。私も、そういう選択肢もあるよな、と結構リアルに考え始めていた。
ところが後期が始まる前に、また転機が訪れる。
大学の掲示板に「栄養学科への転学部試験の案内」貼り出しがされたのだ。
大阪府立大学内に栄養学科があることは知っていた。でも、理系じゃないと受験できなかったのだ。そもそも、他の大学でも、栄養学科は理系じゃないと受験できないところが多かった。数学が全くダメな私は、それもあって大学での栄養系への進学を諦めたというのもある。転学部だとどうなんだろう?条件は?卒業は1年伸びるのだろうか?
早速教務課に話を聞きに行った。10分ほど待たされて「そもそも受ける人がほとんどいないので説明できる人がいないので、電話で連絡するから、もう一度来てほしい」と言われた。そりゃそうだろう。そもそも大阪府立大学には、専門性が高い学部が多い。1回生の時から専門科目の授業がスタートする学部も多かった。すでに進路を決めて入る人が多いのだ。
それでも私に迷う余地はなかった。だってそもそも、入るところ間違えたんだから。でも、何も知らない教務課の人にその話をする必要もないかなと思って、強い希望があることだけを伝えて、その日は教務課を後にした。
後日知らされた内容は、出願は現在大学に在籍する学部生ならだれでもできて、一般教養科目と専門科目含めた講義の成績と、面接と作文で総合的に判断するとのことだった。2年次転学部になるので、1年次末に転学すれば、4年で大学を卒業することもできる。申し込まない理由がなかった。
他の学部から転学部希望があったことに、栄養学科側の教授達も驚いたらしい。ここ数年は、編入学試験の募集開始と同時に形式的に出していただけで、他学部から応募が来るなんて思っていなかったらしい。(これは多分普通に教務課のアナウンス不足ってのもある気がするけど)かなり嬉しかったようで、私のいるキャンパスにまで栄養学部の教授が会いに来てくれた。(そして社会福祉学科の教授と同じように「そんなこともあるのねえ・・・。」と私の話を聞いてくれた)
一般教養の成績は、いわゆるGPAというものの点数が、13.5以上・・・?みたいな、まあ平均以上取れてるかみたいな基準で、幸い成績はそんなに悪くなかったので問題なかった。
面接当日は入学式用に購入したスーツでキャンパスに向かった。次着るのは就職活動の時だと思っていたので、こんなすぐに着ることになるとは思わなかった。作文は事前に書いていったのか、試験当日に書いたのか忘れてしまったくらいに、事前に何度か練習したのを、そのまま書いた。
その後の面接では、今は亡き学科長兼学部長と、副学科長が面接官だった。簡単に志望動機を聞かれて、自分が出願を間違えたことは事前のヒアリングで伝えていたので、それも簡単に伝えながら、改めて食に興味があることを伝えた。
「まぁ、この点数落ちるわけないんだけどね!」と学部長がガハハと笑いながら、手元の私の成績を見せてきたのを覚えている。横にいた副学科長が、「まぁまぁ先生、結果は後日正式な結果発表まで言っちゃだめですよ。」と宥めていたのがコントみたいで面白かった。
もともといた社会福祉学部もアットホームだったが、栄養学部はよりアットホームだった。25に少人数制で、ほとんどが下宿していた。コメディカルと呼ばれる理学療法士や作業療法士、そして看護学部と一緒に一つのキャンパスで勉強し、医療に特化した管理栄養士をを育てる目的がある学部だった。新しく入ってきた私のことを、大変温かく迎えてくれた。
とはいえども、転学してからは大変だった。医療系学部特有の、ただでさえ多い授業4年分を、3年に詰め込んででやる。そして学年が上がるごとに増える実習。とにかく朝から夜まで授業だった。仕送りも限定的で、バイトもやめられなかった私は、4回生の春に体調を崩して、結局1年休学することになった。(学部の特性上、半期休学というのができなくて、1年休まざるを得なかった。この時の話はまたどこかでお話しできたらと思いますね)
でも、今度はその休学期間がきっかけで、今東京に出てくる理由となっている料理の番組などに参加できたので、まあ結果オーライなのである。(冒頭の、ビジネスホテルの受付のバイト面接に行ったらラブホテルだったのもこの時の話 この話もどっかでしたい 心斎橋の露天風呂付きのラブホテル まだあるのかな?)
ちょうど受験シーズンだから、模試や共通テストで思ったように点数が取れなくて、世界が終わったみたいな感じになってる人もこの文章を読むかもしれないと思って書いておくと(てかもうセンター試験って言わないんだよね時代の流れに震えるわ)人生結構どうにでもなると思う。ここ10年で、学歴も、それだけじゃより意味をなさない、柔らかい世界になってきたんじゃないかなあと思う。働き方も生き方も、かなり多様になってきてるし。わたしなんて、ここ5年は管理栄養士の専門学校に特別講師として呼ばれて、この話してお金貰ってるんだからね。ピンチをチャンスにどころではない。
最後に。今年買った日めくりカレンダーは月の満ち欠けを教えてくれるカレンダーなのですが、下に小さく格言が書いてあって。ちょうど「成功の秘訣は、失敗した者にしか知らない」と書いてあったのが、本当に、その通りだと思う。今回の話をすると「諦めなかったから今のきこさんが居るんですね」なんて言われることがあるんだけれど。そんな単純な話ではない気がする。その選択が正しいかどうかなんて、正しく無かったっていう後悔の気持ちが正しさを定義するんしゃないかなと思う。世の中の出来事を白黒、善悪、成功と失敗に分けるのなら、それは全部、感じ方によるもので、成功を成功だと感じるのって、それを周りから眺める、自分が失敗したと思っている人なんじゃないかなと思う。
まあ無論、防げるミスはしないにこしたことはないけど。笑
きっと私しかしたことがないレア体験が、誰かの明日につながればとっても嬉しいな、なんてと思いながら、ここに書きしたためておきますね。