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ギリシャとペルシャのハーフが作る蟹缶パスタは食べてみたい気もするけれど

11月の平日お昼過ぎ、ラッシュ時に比べれば人がややまばらな地下鉄日比谷線の恵比寿駅のホーム。

電車を待ちながらホームの床をぼーっと眺めていたら、目の前を歩いていた人の手元から有線のイヤホンが滑り落ちた。

落としましたよ、と声をかけようと顔を上げると、早速目が合った。どこからどう見ても日本人ではない、西洋なお顔立ちをしたスーツ姿の40代か50代の男性だった。

この辺りはもとから海外の方が多いが、最近は更に輪にかけて多いので、特段珍しくもない。にこりと微笑みかけられて、あ、落としたこと気づいているのか、と思って無意識に微笑み返したと思う。

男性はイヤホンを拾い上げたのち、通り過ぎていくのかと思ったら、そのまま私の横に立った。私だったら別の乗車口から乗るけどなあ、くらいには思った気がするが、AirPodsのノイズキャンセルで世界を遮断してるのでそこまで気に留めなかった。

ところが電車が入電してきたタイミングで「お仕事ですか?」と、あまりカタコトしていない、流暢な日本語で声をかけられた。否、1回目は聞き逃していたようで、再度顔を覗き込むように尋ねられたタイミングで気が付いた。

ノイズキャンセルを切って「えっ?ああ、はい」と答える頃には電車の扉が開いて、そのまま乗らないわけにもいかず、私は男性と一緒に電車に乗り込む羽目になった。電車の中にいた人達からしたら、私達は連れ立って乗ってきたと思っただろう。

あまりにも身なりが変な人とかだったら逃げたかもしれないけれど、知識のない私にでも分かるくらい、とても仕立ての良いスーツを着ている。

手入れの行き届いたグレーのツイード生地のスリーピースのスーツ。そんな洒落たアイテムを「着られている感」出すことなく着こなせてるのは、オーダーメイド仕様なのか、そうじゃなければ体型がマネキンそのものなんだと思う。聞かずとも180cmはゆうに超えていることがわかった。かといっていわゆる水っぽいギラつきも感じない。歯も人工的な白さではなくて、けれども汚れてもいない。

会社の役員や代表だったら電車に一人で乗ったりしないだろうし、公共交通機関の利用を余儀なくされるくらいに財政が渋い国の大使館の人か……?など色々考えを巡らせる。そういえばサラリーマンだと思わなかったな、と今思い返してるのだが、確か手に鞄のような荷物を一切持っていなかった。

とりあえず閉鎖空間に一緒に入り込んでしまったので蔑ろにするわけにもいかず「はい、そうです」と答えると「何してるんですか?」と、いつ聞かれても困るこの質問を投げかけられた。

最近は脳科学者に捕まって脳波を測ってる、なんて言っても伝わらない気がして(別記事参照)、六本木の飲食店でマーケ支援のお仕事をしている、という話を「六本木の飲食店で働いている」としてみる。「料理人ですか?」といつも通りの質問が返ってきて、もういいやと思っていつも通り「そんな感じです」と答えた。

お店の場所を聞かれ、みずほ銀行の近くだと答えると「(駅の)すぐ近くだね」と言われた。流暢な日本語から察しはついていたが、旅行客や出張で日本に来ているのではなく、日本に住んでるんだなと思った。そしてみずほ銀行といって駅の出口すぐだとわかるくらいには、六本木にも詳しいということも分かった。


私はこの日は六本木ではなく、恵比寿の次の駅である広尾に予定があって電車に乗っていた。広尾着のアナウンスが入る頃に「私広尾で降りるので……」と伝えると「LINEを教えて」と言われた。

インスタじゃダメか聞くとLINEがいいと言われる。電車は広尾駅のホームに差し掛かる。

身長150cmの私の目線はとちょうど男性のラペルピンの位置。螺鈿と思しき乳白色の土台に、赤漆だろうか、真紅色のラインがさりげなく入っているのが目に入り、入念にお洒落だなあ、と思って、LINEを教えることにした。

提示されたQRコードを読み取ると、私のスマホの画面に目の前の男性のプロフィール写真がポップアップされる。写真ではまた別のお洒落なスーツを着て足を組んでいて、片手に赤ワインが入ったグラスを持っていた。もはやここまで来ると、たとえビールを持っていたってお洒落に見えると思った。

英語で名前が表示されていたので読もうとしたら「ルカと呼んでください、また連絡します」と言われて、私は軽く会釈をして広尾で電車を降りた。


夜に早速ルカから「仕事終わった?電話していい?」連絡がきた。

ルカが送ってきたメッセージにはひらがなと漢字が入り混じっていて、日本語のスピーキングのみならず、リーディングとライティングも堪能なんだなと思った。

電車の中でも「日本語お上手ですね」と伝えた流れで「日本に来てまだ5年目なんです」なんて言っていたけど、ハロートークで遊んでいた私にはわかる。これは一般的な日本滞在5年目の日本語ではない。上手すぎる。

滞在歴を詐称しているか、それとも相当言語能力が高いかの二択。そして正直、電車を降りたあたりから、イヤホンを落としたところから全部仕組まれた流れなんじゃないかと疑っていた。

にしても、だとしたらこの一連の流れはあまりにも打率が悪すぎるアクションだと思うけど、いかがなものか。これがいわゆるロマンス詐欺まで持ち込むつもりだったら大金を回収できるのかもしれないけれど、一時的な欲求の解消であれば、あの語学力があればもっと他にコスパもタイパもよい方法があると思う。

とりあえず電話越しだったら物理的な距離は詰められないしいいだろうと思って「猫がうるさいかもしれないけどいいですよ」と、いつも通り猫構文で返事をした。


5分程して電話がかかってきた。

「今日は不思議な出会いだったね。あの後お茶した友人に今日のキコとの出会いについて、話しちゃったよ」とルカが話す。やはりネイティブとまではいかないが、相当流暢な日本語だった。

「キコはあの後仕事どれくらいまでかかったの?」「いつもは仕事何時までしてるの?」「休みはいつ?」などを聞かれたので「仕事は不規則、いつも休みは猫と遊んでる」といつも通り返していくと、最後に「結婚、してる?」と聞かれたので「猫が旦那みたいなものです」と答えた。

耳を澄ませると、少しキーボードをかちゃかちゃしているような音が聞こえたきがしないでもない。情報をとりまとめているのだろうか。

私のことをコックさんだと思っているルカが「僕も料理好きなんだ」と話す。夜ご飯の話になって、どんな話をするんだろうと思っていると「今日は蟹缶でパスタを作った」と言われて、思わず「えっ、ツナ缶じゃなくて?」と聞いてしまった。「そう、蟹缶。crab.」と言い直してくれたのに「カニカマじゃなくて……?」ともう一度念入りに聞き直してしまった。蟹缶パスタってなんだよそれ。

加えて日本語が上手いので、日本にルーツがあるのかと出身を聞いてみたら「日本5年目の、ギリシャとペルシャのハーフ」と返ってきて蟹缶パスタの1.5倍くらい驚いた。ギリシャとペルシャ。お洒落具合だけじゃなく、語呂の良さまで良い。お洒落な組み合わせの代名詞“バジルとトマト”ペアに並べる気がする。

あまりの洒落さにイメージがつかず、会話しながらそっと「ギリシャ ペルシャ ハーフ」と検索したら「あなたが知りたいのは【アケメネス朝ペルシャ】のことですか?」と検索画面に尋ねられて、思わず声が出そうになるのを堪える。

そんなルカは普段は群馬の車の工場で働いていて、最近は東京でも仕事の機会が増えて、東京に家を借りたらしい。

へ〜、と聞いていたけど、スリーピースのツイードスーツに螺鈿のラペルピンをあしらったギリシャとペルシャのハーフが普段群馬に生息しているアンバランスさがすごい。

※当方群馬に関する最新情報アップデートを「翔んで埼玉2」で行っているため、知識に偏りがある場合がございます。

あとは40代か50代だと思っていたら30代後半だった。これについては真摯に謝る。


「今度一緒に僕の家で、晩御飯食べない?」

お互いある程度質問し終わったタイミングで唐突に聞かれたので、いつも通り「夜は家にいないと猫が寂しがるの」と答えつつ、やや食い下がられたので「年末で忙しくて」とも付け加えた。

ランチを食べるくらいなら面白そうだなと思っていたが、こういう流れでディナーはしないことにしている。酒に何か混ぜられでもしたら面倒なので2回目以降である。家なんてましてや面倒である。

いつまで忙しいのか聞かれ「年内ずっと」と答えたら、さすが日本語堪能、その気がないというのは伝わったようだった。

そして、ルカのほうも、別に私とランチに行く気はなさそうだと、日本語ネイティブの私には分かった。

また暇になったら連絡して、という形式的なやり取りで全体を整えて通話は終了した。

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2025年に入りまだ数日しかたっていないけれど、ルカから連絡がくる気配はない。

あの後改めて「ギリシャ ペルシャ ハーフ」とか「日比谷線 イヤホン落とす ナンパ」とか調べてみるけどヒットしない。もし同じ手口でイケオジが近寄ってきたらそっと教えてください。

2025年もよろしくお願いします。

※ルカは念の為仮名でございます


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