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なぜこの世には、金持ちと貧乏人がいるのか?【人間は~1】
新しいマガジンです! 『人間は自分が考えているような人間になる』という、長いタイトルの本ですが、つまり本書で一番いいたいことがタイトルに端的に現れているのです。真正面から自己啓発書です。
ちょっとくどい部分もありますが、それもまた魅力のひとつ。こちらのマガジンでは本書の中からそのエッセンス部分を抽出し、よりわかりやすくお届けできるようにしていきます。
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富と名声を十二分に満喫したいと思うなら、貧困やその日暮らしの環境というものがどれほど不快なものであるか、ということについて感受性が豊かでなければならない。子どものころの私には、成功とは何かなど何もわからなかった。しかし貧困は知りすぎるくらい知っていたのである。
当時は、自動車、電気冷蔵庫、床ばりのカーペットを所有している家は、すべて金持ちの範ちゅうに入っていた。このような家庭の子どもは、生まれつき運がいいんだ、と私は信じていた。
でも、なぜ金持ちと貧乏人がいるのだろう?
私にふとこういう疑問が浮かんできた。そしてこの問題を解こう、と決意するようになったのである。
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1933年は大恐慌でも最も悲惨な年で、失業者は何百万人にものぼっていた。しかし私と2人の兄にとっては、さほどつらくはなかった。父は職探しで家を出ていたが、母は裁縫工場の内職をしていつも家にいてくれたからだ。稼ぎはひと月2万円(訳注…当時の額を現在の金額に換算)。この金額ですべての生活をまかなっていたのである。
「いったい、どこが違うんだろう。なぜ金持ちと貧乏人がいるんだろう。なんで受け取る額にこれほどの違いがあるんだろうか。その原因はいったい何なんだろう」
近所に往む大人たちに質問してみようか、とも考えた。しかし、すぐにそれは無駄なことだとわかった。大人たちは、こんな疑問を今まで一度だって抱いたことがないのだ。何も知っちゃいないのである。
これは、私にとって驚くべき発見だった。近所の貧しい大人たちは、まったく無教養で、本能と他人志向で生きている人々であった。
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しかし、私の母親には、優れた長所があった。一つは、いつも陽気であったことである。もう一つは、読書好きであったことだ。
母は公立図書館に足しげく通っていた。今でも私のまぶたに懐かしく浮かぶのは、朝早くオートミールやミルクを前に、暗い裸電球の下で本を読んでいる母の姿である。
母は旅行ガイドの愛読者だった。実際に旅行するわけではなかったが、このガイドを読みながら、頭の中で世界中を歩き回っていたのである。
読書が、あの厳しい時代を乗り越えるための糧となっていたのだ。本と使い古しのラジオを唯一の娯楽としていた母は、あのころまだ若く美しかった。そして愛情深く私たちを育ててくれた。
仕事をもらいにいくための行き帰りの電車の中、また、子どもたちが寝静まった後が読書の時間であり、そして週末に掃除と洗濯を終えると、すぐに旅行と冒険の世界に心をはずませていたのである。
後年、実際に旅行することになっても、税関でのいざこざやイタリアのタクシーにスーツケースを忘れてしまうといったような失敗は、一度もなかった。外国語や通貨で困ったこともなかった。なぜなら、すでに本を通じて世界の隅々まで旅行し、どんな辺境の地でも知らないところはなかったからである。
ロサンゼルスを一度も離れたことのない私が、いともたやすく海外旅行ができたのも、母の読書のたまものである。しかも、この海外旅行入門には一銭のお金もかからなかった。(つづく)
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