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文学賞

 人生で初めて、自費出版以外の文学賞の公募に小説を出して、佳作にすら引っ掛からなかった。当たり前なのだが、何の連絡もないものである。今日ふと、その文学賞のホームページを開き直したところ、来年の締め切りに切り替わっていて、既に今年分は選考された作品名が並んでいて自分の作品が全くもって選考対象では無かったことに気がついた。

 実際、原稿用紙百枚程度のところ、80枚程度で提出してしまったので、読んでもらえたかも怪しい。それでも私は提出をした。今年の頭に、高校生の頃から抱いていた小説家になると言う夢を再度目指してみようということを家族や友人に公言をした。飽きっぽく三日坊主の私にとって、社会人でありながら作品を書き終えると言うことはとてもハードルが高かった。だからこそ、まずはどんなに未熟でも、短くてもまずは作品を完成させ、公募に出すというシンプルな目標を立て、実行したのだった。

 目標は達成した。第一歩は踏み出した。しかし、このずっしりとする悔しさが、それ以上を私が自らの作品に期待していたことの証明だった。そしてそれが、今これを書き始めた動機になっている。

 大した努力をしたわけではないし、私は天才ではない。そんなことはわかりきっているつもりでも、自分は評価されるべき人間であるという自信とエゴがあるからこそ、選ばれたい、書きたい、認められたい、知られたいという感情が生まれ、自分自身とその作品への期待が生まれる。口では今年から公募に出し続けて、いつか選ばれますように、なんて甘いことを言っていたが、本当は今すぐにでも文学界にデビューをしたい。自分にしか作れない何かで世間から評価されたい。社内、友人間、家族なんて小さ過ぎるのだ。私は世界中から注目されたかった。だから書き始めた。

 そして今書いている作品は、当初9月末の文学賞に応募したいと思っていたものだった。でも書き終わらなかった。字数が足りないので諦めてしまった。すぐ別の文学賞を探した。今の私には長編を書く能力がなく、気力や継続力もない。自らのエゴの大きさに、それを手に入れようとする切実さが見合っていない。文学賞に応募できなかったことを、まあ仕方がないかとあっさり自分を許してしまっていたのだが、今になって悔しさが燻り出してきた。

 きっとまた、短い作品しかできないかもしれないが、それでも書きたいテーマや筋書きは他にもある。私は書くことを諦めたくない。一生書く人であり続けたい。それが例え今年突然思い出された野望だとしても、今年だけの気まぐれのふりをして、来年になったらもう書くのは辞めたのだと言いたくない。

 だから私は書こうと思う。他者から見たら、とてもみっともなくて、読みずらくて、面白くもないのかもしれないが、私は書こうと思う。悔しさがある限り、自分に期待ができる限り、私は物を書く人で在り続ける。そして、そのうちすぐに、私は書く人ととして世間から認知をされるのだ。

 小説家でも随筆家でも散文家でも何でもいい。私は文学界にデビューをしたい。

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