【2】日ソ開戦前の状況~我軍の兵力~
日ソ開戦前の状況
昭和20年5月、関東軍総司令部は首都新京にあって総司令官陸軍大将 山田乙三は在満の第一方面軍及び第三方面軍(司令官陸軍大将 後宮淳)を指揮統率していた。
第一方面軍司令部(司令官陸軍大将 喜多誠一)は牡丹江にあり、これに属する第五軍司令部(司令官陸軍中将 清水規矩)は東安にあってその警備区域は対ソ最重点である虎頭・虎林・密山・綏芬河を連ねる東満地区であった。
第五軍は6月に入るやその防衛を遂次縮小し、浜綏鉄道沿線に移転を開始した。
東安駐屯の第五軍関東司令部は6月10日を前後して虎林線を南下し、牡丹江東側の繹河に移駐した。
それに伴って隷下指揮下の各部隊もまた新防衛地区に移駐し、陣地の構築、戦技の錬磨に全力を注いでいた。
第五軍の隷下及び指揮下部隊には、第124師団・第126師団・第135師団の3ヶ師団と、野戦重砲兵 第20連隊(15cm榴)、独立重砲兵 第5大隊(30cm榴)、同第8大隊、独立重砲兵第1中隊、第15国境守備隊(虎頭)、第9遊撃隊、独立速射砲第31大隊、追撃砲第13大隊、第1工兵隊司令部、独立工兵第18連隊、臨時工兵第2大隊、同第3大隊、第3野戦築城隊、電信第46連隊、それに特設警備の戦斗部隊があって兵力61,000。
この他、輜重第64大隊、兵站勤務第46中隊、同第80中隊、独立輜重第70中隊、同第71中隊、第45野戦道路隊、陸上勤務第64中隊、同第92中隊、第19兵站衛生隊、患者輸送第47小隊、第17野戦兵器廠、同自動車、同貨物廠、虎林陸軍病院ほか9病院、第20軍馬防疫廠等の非戦斗部隊兵力16,000。合計第五軍の兵力は77,000であった。
これが日ソ開戦直前の兵力である。
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