悔しさを燃料に、道中を楽しむ人生を選ぶ
もっと仕事に全力を注いで、ワーカホリックみたいに働きたいって、ずっと思っていました。今も少しその気持ちがあります。
持病があると、仕事だけに全力で集中することって、ほぼ不可能になります。
少なくとも私のキャパシティでは無理で、昔のことを考えたら働けるようになっただけでもよかったのかもしれません。
でも、人はどんどん欲張りになるもので、無職になってからの寝込みの期間が終わって毎日の作業ができるようになってきてから、もっと頑張らなきゃってずっと思っている。
ほら、まだこの文量しか書いてないのに、「もっと」「ずっと」って2回も使っています。すごい自分のこと、焦らせてしまっている。
ワーカホリックみたいな働き方をしたら、すぐに私は躁か鬱になって、しばらく再起不能になると思います。それはわかってるんです。
でも、悔しいなあ。全力を出して頑張れない、自分の体と心が恨めしい。
一回非人道的な働き方をしてダメージを負い、自分を労らないといけないと痛感するって人多いじゃないですか。ひどいことを言うかもしれないけど、そういう人に対しても羨ましくなってしまいます。だって、私は自分を壊すまで働くことすらできないから。
すごい自傷っぽいこと言ってるのもわかってるし、ワーカホリックの人は完璧主義や強迫的な心理傾向があったり、頑張らなきゃいけない教に入信しているから常に追い立てられるような気持ちだったりするのかもしれないって思う気持ちもあります。私にしても、ワーカホリックにしても、あんまり健全な心理状態ではないでしょう。
私は、双極性障害になって自分を愛することを学んだとか言ってるくせに、その気持ちに嘘偽りはないけれど、悔しい気持ちでいっぱいになってしまう時があります。でも、焦ったって無駄だし、少しずつ前進していってるのは事実だし、自分をなだめながらやっていくしかないから。
悔しい気持ちって、苦しいけれど、絶対に燃料にはなっています。
私は自分の人生を諦めないし、自分の欲しいものは手に入れます。
全力で仕事ができなくたって、それがなんだ。
最短距離の人生じゃなくたって、ノイズや無駄があることこそ彩りのある余白であり、私には流れる景色を味わう選択ができる自由がある。
悔しさだって腹の底から噛み締めて、これが生きてるってことだって叫んでやります。
自分に向けての手紙みたいな文章を書いて、少し落ち着きました。
私は大丈夫です。もっと頑張れって自分を焦らせるより、道中を楽しむことを選びます。
忘れないように自分に言い聞かせながら、明日も生きようと思います。