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宙ぶらりん

「宙ぶらりん」という状態は居心地が悪いというお話



「会社を売って、今は何をしているんですか?」

と聞かれることが時々あるが、明確な回答ができない

「毎日、フラフラしています・・・」

というような回答しかできない



去年までは、動物病院の院長、その運営会社の社長だと答えることができた

最後の1年は、ろくに診療もせず、フラフラしていたのだが、「何をしている人か?」と聞かれても、困らなかった



今は、経営していた会社、病院を手放し、肩書きも無くなった

それが有ると無いのでは大きく違うのだ

今思えば、肩書きや所有物(所有しているという事実)を守ろうと必死だった


セカンドライフを夢見て山林を購入し、キャンプ場を開いたが、キャンプ場経営者とは名乗ることに抵抗がある

自然農を学び、手探りではあるが実践している でも、農業をやっているとは言えないし、自然農を広める活動をやっているとも言えない

それを堂々と言えないのには理由があって、ちょっと前まではお金を稼げていないからだと思っていた 
確かにそれもある

自然農もキャンプも好きなことだということは間違いない

でも、お金を産まないことだから、それは趣味なのだと納得した

たぶん、立派なことをやっている自分でいたかったのだろう

自然農やっている人なんて、すごく立派っぽい 笑

趣味ではなく、それを仕事にしていると言いきりたかった

要するに、僕の取り組む姿勢が中途半端なのだ

これも「宙ぶらりん」な状態なのだと思う



話は変わるが、僕はリアルのセミナーの休み時間が苦手だ

懇親会は大丈夫なのに、短い休憩時間が苦手なのだ

これも「宙ぶらりん」という状態かどうかという話である


休み時間って、別に1人で寝ててもいい

スマホを見ててもいいし、外に出て電話をしてもいい

でも、他の参加者と楽しそうにおしゃべりするという選択肢もある

行動の選択肢が多様であり、自分で決めなければならないのだ

この「宙ぶらりん感」がわかるだろうか?

懇親会なら、お酒の力を借りられるというのもある

でも、みんな話しに来ている訳だし、自分も話すという選択肢を選べばいい

「宙ぶらりん」じゃないのだ


小学校の休み時間も同じだった

ドッチボールが流行っている時は、休み時間が10分しかなくても、チャイムがなったら運動場に走っていいき、夢中にドッチボールをする

でも、そういう流行りがない時期の休み時間は苦痛だった

別に話しかけなくてもいい状況で、人に自分から話しかけるのが苦手なのもある

別にしなくても済むけど、自分からしてもいいという状況、それが僕には「宙ぶらりん」なのだ



今は人生が、日々が「宙ぶらりん」だ

会社も肩書きもなくなった

何にもしがみつくことが出来ず、「水越健之」で勝負するしかない

すごく「宙ぶらりん」だ


会社を売って半年弱

最初は元の会社に未練があり、何とかして居座ろう、縋ろうとしていたように思う

「宙ぶらりん」にならないように

他の会社に所属しようとしたこともあった

将来のお金の心配もあった

でも、それだけじゃない

兎に角、「宙ぶらりん」だと居心地が悪く、それを避けたかったのだ



そして、今、そんな状態をちょっと俯瞰して見れるようになってたのかもしれない

こうやってブログを書くくらいなので、「宙ぶらりんの海」で溺れている状態からは脱したようだ

そして、今は「宙ぶらりん」でいいと思っている

「宙ぶらりん」こそ、本当の自分らしくいられる状態なのかもしれない

立派な肩書きがあれば、または自分のアイデンティティといえる立派な所有物を持っていれば、怖れや不安な気持ちから逃れられるかもしれない

でも、それに引っ張られるというか、それを維持することを判断基準にしてしまうこともある

「宙ぶらりん」でいないためにという判断軸になるのだ

自分軸では無くなってしまう



「宙ぶらりん」なら、失うものは何もなく、思ったことをやりたいようにやればいいだけなのかもしれない

自分なんて、所詮「宙ぶらりん」で、何もないんだから

その体験の積み重ねが、人生を作り、本当の自分に戻る道なのかもしれない


「宙ぶらりん」じゃなかった頃は、しがみついていた地位や立場、所有物などを守ろうと必死だった

そんな時期には、色々と悩み、色々と勉強したけど、多くのことはそれらを守るための勉強だった(僕が学ぶ目的はそれだった)

一度、全てを手放さないと、僕はそのことに気づき、腹落ちすることはなかっただろう



これから、僕はどうしていくのだろう?

それは後になってみないとわからない

自分軸で判断し、思ったことをやりたいようにやれたらいいなぁと思う

昔は「宙ぶらりん」を避けるために必死に学び、実践したけど、もう終わりにしたい

「やりたいことをやりたいように」

そう思うと同時に、損得を考えずに行動を選択したいという感覚にもなってきた

前は、慈善活動をすることがあっても、それに対する見返りを期待していた

今はちょっと感覚が変わってきた

自分のやりたいことに人を巻き込み、一緒に豊かな時間を過ごせたとして、その対価としてお金をもらうということに抵抗を感じてしまう

キャンプ場をどのように使っていくか?ということも、そんな抵抗感があるから、なかなかビジネスにつなげられないのかもしれない

とりあえず、キャンプ場では「焚き火会」という有料イベントを開いてみて、これから試行錯誤していこうと思う


そんな感じで、数年間はフラフラしていようと思う

後先考えず、損得考えず、色々やってみたい

そして、やりたくないこと、違和感を感じることを手放していきたい


会社、病院、旧宅、地位や立場、仕事など、この半年は多くのことを手放した

未練が残ること、続けたかったと思うこともある

違和感を感じるから、思い切って手放したものもある

「手放せば入ってくる」というような思想があるが、確かにそうだと思うことがいくつかあった

まだまだ、先は見えないし、上手くいくかどうか分からないけど、このんなスタンスで行こうと思う



今のところはそんな状態だ

おしまい

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