『何でもすぐ手に入る時代に、なぜ私たちは幸せになれないのか。』
2021-03-08
太田家の日曜日。
よし、みんなでコンビニに行こう、という話になる。高揚した気分で車に乗り込み、先生のリクエストで『ルージュの伝言』をかけて、みんなで歌いながら山道を下る。
コンビニ。それは月一くらいで訪れることのできる、魅惑の世界。
自動で開くドア。音楽。珈琲の甘い匂い。山にはない、頭がくらくらする程の色彩の数々。眩暈を感じる、コンビニ・トランス。
民族学者・柳田國男が見出だした、ハレとケという日本独特の世界観がある。
「ケ」は日常、「ハレ」は非日常でお祭り。それは内容によって分けられるものではなく、日常と非日常の落差と、頻度のバランスによってこそ成立する。
どんなに眩暈を感じることでも、毎日起こればそれはやがて「ケ」になり下がり、ただぼんやりと日常に横たわり始める。さらに強い刺激を求めても同じことの繰り返しで頭打ちになって、どうせ世の中こんなもんか、な空気が漂っているのが現代。
幸福とは〈相対性〉であるから、「何をするか」はさして重要ではない。
幸せになるための手法として、日常における“禁忌”と、お祭りの“頻度のコントロール”こそが重要になってくるワケです。
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