【夫の存在】#42
”子どもと遊ぶ”が仕事の
小児の作業療法士ミキティです。
私には
”知ってもらいたい家族がいる”
私が関わる障がいを持つ
お子さんとその家族。
その家族のストーリーから
いつも沢山の学びがあります。
その一部を皆さんに
知ってもらいたくて綴っています。
(過去の投稿はコチラで読めます)
今回のテーマ:
「夫の存在」
1.ウエスト症候群と知る。
41週と3日。
初めての出産を終えた時、
「あぁ、やっと終わった…。」
と、自分のお腹から誕生し
横にいる女の子、
「こころ」を見て
そう思った。
初めての育児。
1日はあっという間に過ぎる。
そんな中、異変に気づく。
大きな音や光、
姿勢変換などに反応する
モロー反射とは違う動きだ。
何の前触れもなく
小さな体の手足だけが
びくっと急に驚いたように
持ち上がる。
お座りしている時に
眠くもないのに頭がガクッと下がる。
何か掴みたいものがあるわけでも
ないのに空を掴むような手の
不随意運動が見られる。
生後5ヶ月だった。
「ウエスト症候群」と診断される。
定型と呼ばれる子どもたちなら
寝返りや離乳食が始まる
そんな時期だった。
2.不安だった
診断された後、
一度は完治していたかのようだった発作が
2ヶ月で再発した。
目の前で起こる発作は誰にも止められない。
「ウエスト症候群」を何度も検索する。
”予後不良”
と書かれた文字にショックを受け、
”予後良好”
の記事を見つけては隅々まで熟読し、
「よしっ!」と気持ちを立て直す。
そんな時間を繰り返す。
こころを産む前から
福祉の道を選んで仕事をしていたのは、
福祉従事者だった父母の影響もあった。
それまでの自分には
「障がい児・者に理解がある、
寄り添っていける」と自負があった。
だが、我が子に障がいがあるとなった今、
そうじゃなかった、と気づく。
関わってきた障がい者の方や
その家族の方たちの暗い風景ばかりが
走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
3.主人がいたから
この春小学生になる、こころ。
数年前まで母親である私に
自分から近寄ってきたり
笑い返すことが
ほとんどなかった。
5ヶ月の発症直後、退行症状で
(いままでできていた事ができなくなる)
こころから笑顔の表情が
消えていったからだ。
そんな時に主人が話してくれた事が
今でも心に残る。
「また笑った時、
めっちゃ嬉しいだろうね!
そう考えたら我が家はラッキーだなぁ〜」
「俺は周りに障がい者のいない環境で
ずっと生きてきたから、専門的な事とか
難しい事、わからないけど、
何かそんなに違うもんなのかな?」
超ポジティブの主人の存在は大きく、
私に落ち込む隙を与えない。
気持ちが前向きになってから
思い出す事は以前と違って、
障がい者さんたちと
楽しく過ごした日々や
笑顔の風景ばかりに変わった。
そんな主人がいたから、
こころの障がいを受け入れた
今の私がいる。
4.父親として、夫として。
こころの障がいを知った時、
「一生、こころと生涯を共にする」
と決めた。
落ち込む妻を見て、
自分も正直、毎日不安だった。
でも、とにかく前向きに
考えようと。
本来なら自分が妻を支える役まわりだ。
だが、そうであるはずが
支える前にいつも逆に
妻に支えられている。
きっとこれが
お互い、
支え合っているということだと。
こころをいつも家族みんなで
笑わせて過ごす。
そんな幸せを
この先も続けていきたい。
5.OTの私ができる事は何だ?
ある国では障がいを持った人を
”神”と呼ぶと聞いた。
”神” に出会うと
「ありがとう、私たちの身代わりに
その人生を生きてくれて、
心から感謝します」と跪く。
自分が持つはずの
何らかの不自由さを
その人が代わりになって
くれたから、だと言う。
日本がその国のようになれ
とは、思わない。
私はこのような家族がいることを
ただ「知って欲しい」のだ。
まだ知らない人が「知ること」
それが社会を変えていく
小さな一歩になるからだ。
ココロちゃんのお母さんは言う
「障がいがあろうとなかろうと
”一筋縄ではいかない子育て”
でも、未来は明るい」と。
ココロちゃんのお母さんが
思い描く未来を近づける為に
私にできる事。
それは、こうして発信し続けること。
リハビリに従事する以外の
私のもう一つの役割でもあるのだ。
6.こころへ
お父さんと
お母さんは
こころの事が
大、大、大好きです!
これからも
ゆっくり前へ
進んで行こうね。
撮影 福添 麻美