【出来ていた事が出来なくなった】 #30
”子どもと遊ぶ”が仕事の
小児の作業療法士ミキティです。
私には
”知ってもらいたい家族がいる”
私が関わる障がいを持つ
お子さんとその家族。
その家族のストーリーから
いつも沢山の学びがあります。
その一部を皆さんに
知ってもらいたくて綴っています。
今回のテーマ:
「諦めない」
1.それは突然やってきた
ちょうど冬の寒さの厳しい頃、
2歳の誕生日、直前の事だった。
ユウちゃんが熱で寝込んだ。
なんだか、
いつもと様子が違っていた。
小児急性脳症
インフルエンザウイルスの
感染がきっかけで
発症してしまったのだ。
2.ただ、ただ、生きていて欲しい
意識がなくなり、
生死をさまよった。
頭は真っ白になった。
『ただ、ただ、生きていて欲しい』
どうなっても
生きてさえいて、くれればいい。
ママは動かないユウちゃんの側で
祈ることしか出来なかった。
3.奇跡的に回復した。が、残る後遺症。
願い続けたママの祈りは、
ユウちゃんに奇跡を起こす。
意識が戻ったのだ。
だが、喜んだのも束の間。
そこには数日前までとは
違うユウちゃんがいた。
つい、数日前までは
ママとおしゃべりをして
笑っていた。
自分の足で楽しそうに
走り回っていた。
今は違う。
自分で起き上がる事も出来ず、
表情も変わる事なく、
一切話さなくなったのだ。
4.受け入れる
ママは、
「生きてさえ、いてくれればいい。」
と、本気であの時は思ってた。
だが、目の前の現実は
受け入れ難く、辛かった。
きっとママは自分を
責め続けていただろう。
ユウちゃんは
ママの苦しい気持ち、
それがわかってた。
ユウちゃんも自分の体の異変を
受け止められず、
動けない、話せない中
ママと同じように
辛さと闘いながら過ごしていたのだ。
大好きなママの笑顔を取り戻すために。
この家族がこれからどんなことがあっても
共に歩んでいけるように
二人をずっと見守っていた神様は
続きを用意してくれていた。
毎日、ほんのほんの少しずつ、
赤ちゃんが成長するように
出来ることが増えてきたのだ。
2歳で生死をさまよい、
必死で生きる道を選んだユウちゃん。
現在もまだ話せないし、
出来ない事も沢山ある。
だけど、
ママの辛さはいつのまにか消え、
そこには感謝しか残らなかった。
5.OTの私ができることは何だ?
もう少しで4歳になる。
大脳のおでこ側の部位、
”前頭葉” の萎縮がある。
(前頭前野も含む)
「考える」「判断する」「話す」
「感情をコントロールする」
人間らしく生きるために
とても重要な部分だ。
『まだ言葉は出なく、
感情のコントロールや
表現が難しい、
娘の将来を考えた時に
不安になることがある。』
とママは話す。
ママの不安を少しでも
軽減することが今の私の役割だ。
それは、ユウちゃんに
たくさんの小さな「できた!」
を届け、一緒に喜ぶことだ。
ユウちゃんのお家。ドアのピンポンを押すと、
”ドタドタドタ…”と居間から玄関に
走ってくる音が玄関の外まで聞こえてくる。
うん、今日の調子も良さそうだ。
「よ〜し、今日も一杯、遊ぼっか」
遊びという名のリハが始まる。
『ママ〜、楽しかった〜』
と、自分の声でママに伝える
その日がくる、と信じて。
6.ママからユウへ
弟が出来て、
お姉ちゃんとして
弟を可愛がる姿や
喧嘩する姿、
力一杯楽しそうに走り回っている姿、
いろんな姿が愛おしく
幸せな気持ちにさせてくれています。
生まれてきてくれて、
元気に笑って過ごしてくれて
たくさんの笑顔をくれて
本当にありがとう!
これからも仲良し家族で
いようね。
撮影 福添 麻美