いつもの日本祭りでの新たな経験〜第25回サンパウロ日本祭り〜
毎年冬のサンパウロの恒例のイベントである、日本祭りが開催されました。(7/10〜12)2年前の様子はこちら
子供たちは例年のように訪れる予定にしていたこのお祭り、正直私は今年はもういいか、と思っていました。一緒に歩く人ももう居なくなってしまったし。。そんな気力もとても湧いてこなかったのです。
でも、石川県人会勤めだった友人から「県人会のスタンドで提供する商品を作るボランティアの数が足りない」と云う話を聞いて、会場に行かずとも県人会での調理でそのお役に立てるのなら、とボランティアをお受けすることにしました。
お祭りの開催期間は金、土、日。開催初日の前日から準備を始めるとのことで、木曜日がその初日でした。会員の方たちは連日朝5時から会館に詰めるという話でしたが、ボランティアはできる範囲で、とのことだったのでお言葉に甘えさせていただきました。(朝は陽が昇った後、20分ほど歩いて会館に通いました。)
皆さん顔見知りの方たちの中、一人だけアウェイ感が満載な私。。最初のお仕事は皆さんの朝食となるフランスパン(pãozinho)を切ってバターを塗ること。ベーカリーで焼き上がったばかりで皮がパリッとしたパンに黙々とナイフを入れバターを塗る。孤独で無心になれる貴重なひとときでした。
次の仕事は、ひじきおこわの具の干し椎茸を刻むこと。日本からの輸入品で貴重な椎茸の山はもう圧巻!周囲にはなんとも滋味深い香りが漂っていました。
作業をされている方々に声をかけて仲間に入れていただいたところ、その中のお二人は日本からの駐在員の奥様だとわかりました。県人会員の方が同じアパートの住民でお声がかかり、中学生のお子さん繋がりのお友達に声をかけ。。そんな形での参加だったそうです。
私は最近はなかなかご縁がないですが、30年前に渡伯してすぐに通った語学学校では、(学校の場所柄か)クラスメート達が日本からの駐在員の奥様ばかりだったことを思い出していました。あの頃は私も友人たちもまだ若く、希望に胸膨らませ、やる気がみなぎっていたのだろうなぁ。伯国経験が浅い者同士、いろいろ情報を交換し合っていたっけ。懐かしい。
その後の仕事は、桜餅の餡子や計量して捏ねられた白玉を丸めたり(私は出来上がりしか見ていませんが、餡子は小豆から手作りなのだそうです)。体を動かすような仕事ではないのですが、同じ姿勢でいるので肩が凝る、首が凝る。やっと終わった!と思えば次々に出てくる餡子や餅米に流石にうんざり。
でもお昼時には会員の方たちからの心尽くしの賄いが出たりして。その食事もなかなかのお味でそれは毎日楽しみでした。
私にとってぜんざいの白玉やおはぎ、桜餅作りは初めての経験でした。白玉の粉の調合には日本からの二人組が大活躍。やはりこんな時は経験がものを言います。
桜餅に使った桜の葉っぱの塩漬けは、県人会所縁の、石川県庁から送ってもらっているそうです。ブラジル産の葉っぱもありますが、やはり日本のものとは違うのだとか。
二日目からは流石に作業にも慣れて、皆さんのお話に耳を傾けたり参加したりする余裕も出てきました。アップダウンのある田舎道をマラソンする年配の女性、NHKの朝ドラを何よりも楽しみにしているらしく、話し出したらなかなか止まらない男性。。日本からの一世の方は少なく、70代以上の二世の方が多い印象でした。会話はポルトガル語が主流。
二日目の作業後には、ボランティア価格でおはぎをゲット、その翌日は商品のひじきおこわのパックを無料でいただくことが出来ました!
最終日(日曜日)はもう翌日の仕込みがなく、お昼までには全ての仕事が終わると云う話でした。お昼までということはもう賄いはないのかな、と思っていた土曜日の夜に、思いがけないお誘いがあったのでした。
私の婦人科医(石川県人会で絵手紙教室に通っている)が最終日に会場の絵手紙ブースでお手伝いをされるとのこと。県人会の友人には許可をとって会館でのボランティアの必要はないので、最終日のお祭りに行きませんかとのことでした。お手伝いに行く気満々でしたが、一度は諦めたお祭りには行ってみたい気持ちになって快諾。
9時からお仕事を始めるとのことで待ち合わせて地下鉄駅からの送迎バスに一緒に乗りました。開場前で現地は流石にまだ空いていました。
会場で各県人会による準備の様子を見て。石川県人会のスタンドで桜餅をゲット。運送、販売される方たちは調理部門とはメンツが違うので面識はなく。。
本格的にお客様が入り始めたら、絵手紙のワークショップに参加してみました。シンプルなようでいてセンスが問われ、私にはなかなか難しかったです。
お昼近くになってぶらっとやってきた娘カップルも絵手紙のワークショップに参加。その後はお隣のブースで墨絵に挑戦していました。
絵手紙の生徒さんたちは、ワークショップの参加者の方達に手ほどきをされたりしていましたが、私にはそれができないので少し片付けを手伝う程度。それでもしっかりと軽食やらお弁当やらが出て恐縮してしまいました。(そう云うつもりで来たのではないのですが。)
在伯60年と云う女性の生徒さんは「30年なんてまだまだひよっこよ!」と元気いっぱい。21歳の時に日本でご結婚、ご主人様とお二人でこちらに来られたそうです。
京都のご出身、ご家族での移民ではなく(明るく話されていても)ご苦労があったのだろうなぁ。なんとなく日本の母の姿を思い浮かべてしまうような方でした。
合間を見て、ひとり暇人な私は色々見てまわっていました。せっかちな夫と一緒だと、滞在時間はせいぜい3時間と言ったところだったでしょうか。。経費の問題で、夫が関係していた日本病院のブースが姿を消してしまっていて非常に残念でした。
絵手紙のブースでは、最終の4時半のワークショップが終われば片付けの体勢に入りました。テーブルの上の道具、壁に貼られた展示物をきれいにまとめ、模造紙などもゴミに出すことなくきちんと車に運び込みました。
非日系だと業者に全てお任せになることも多いイベントですが、食事の提供やワークショップ、その後の清掃に至るまで自分たちの手によるお祭りで、そのチームワークの素晴らしさには本当に感銘を受けました。日系人万歳!
このように外に出ていると少し気が紛れますが、ふとした瞬間に襲ってくる哀しみ、喪失感。将来への不安。
絵手紙の作品にあった「夫婦は世界で一番の友達」と云う言葉が哀しかった。そんな友達を私は。。
まだ中学生くらいだった息子のために、部屋のホワイトボードに夫が書き残していた言葉。
「本当の友達とは、君には何も与えるものがなくとも君と一緒にいてくれるひとたちのこと。
家族は永遠だよ。」