夢から振り返る空の旅
先日、久しぶりに起床してしばらく経っても記憶に残るような夢を見た。夢の内容は突拍子もないようでいて、直近に経験した何かが影響していると分かることもしばしば。脳は就寝中にさまざまな情報を整理していると言われているが、今回の夢もそんな感じだった。
夢の舞台は日本の空港だった。家族と過ごした一時帰国を終えて、飛行機に乗り込んでいる。機内に入るととても明るい雰囲気で、真っ先に目に飛び込んで来たのは鮮やかな黄色の、ふかふかなシート。航空会社が、無機質だった機内の設えをスタイリッシュにするまでになったか、と感心しながら自分のシートに着席した。(ここから夢と実際の経験が交錯します。)
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着席すると慌ただしく離陸のアナウンスがあった。もう出発か、と遠のく空港ビルディングを眺めながら母国を離れる感傷に浸る。ところが、滑走路を疾走しているとばかり思っていた機体の様子がいつもと違うことに気が付いた。窓の外を眺めると、何と飛行機が空港を飛び出して、自家用車のように一般道を走っている。
何かがおかしいと思いながらも、そこではまだ夢だとは気づかない。機体の隣で並走するトラックを、「危ないなぁ」と感じながらも呑気に眺めていた。道はいつしか坂になっていて、トラックと競争する様に坂を滑り降りて行く。前のめりになりながらハンドルを握る、トラックの運転手の様子までが良く見えた。苦手なジェットコースターに乗っているようで、手に汗を握る。その先に突如平坦な道が現れて、やっと機体は上昇を始める。やがて安定した飛行をするようになり、慌ただしく機内サービスが始まった。
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夢はここまでで目が覚めた。スマホで時間をチェックすると、起床する時にはまだ1時間ほど早い。外はまだ真っ暗。その日の天気は雨の予報だった。やれやれ、夢か。
飛行機の夢を見るなんて、起きた直後は「さては里心がついたかな」と思った。でもよくよく考えてみると、こんな夢を見るに至る原因が、その前の晩に家族と交わした会話にあったことに気が付いた。
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オットが夕食時のお供に、娘にビールを勧めていた。
「ビールは飲み過ぎは健康には良くないそうよ。特に、痛風持ちのひとには。それに太るしね。」
私は自分が知っている情報を家族に提供した。「ビールは痛風に良くない」ことは、ある年、一時帰国を終えた帰りの飛行機内で、偶々隣に座った男性から仕入れた情報だった。
結婚して初めての里帰りだっただろうか。オットの日本出張に便乗して帰国した。2週間ほどで仕事を終えた彼は、私を残して一足先にブラジルに戻った。私はその後の1ヶ月ほどを、家族や友人達と過ごす時間に充てた。
日本での滞在を終えて、成田発、西海岸LAに向かう飛行機に一人乗り込んだ。給油のためにLAを経由して、同じ機体でブラジルに入るこの便を「直行便」と呼んでいたが、今はもう存在しない。帰国のためには世界の何処かで乗り換えをする。5、6時間ほどの待ち時間を経てブラジルに向かうしかないので、旅の時間が以前より長くなった。日本から見たブラジル(その逆もまた然り)は最も遠い国の一つなのではなかろうか。
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初里帰りの帰りの便で予約を入れたのは、通路側の席。(家族との並びではなくしての窓側の席はなかなか厳しい。)隣の窓側の席にはすでにシートを探し当てた日本人の出張者らしき男性が荷物を頭上の棚に上げる姿が。
「ヨイショ、ヨイショ、ブツブツ。。」
やたらと独り言の多い方だった。一人で静かな時(経由地のLAまで10時間、給油のためにLAで降りて1時間半の待ち時間、その先サンパウロまで約12時間の計24時間の空の旅)をのんびりと過ごそうと思っていた私。何となく嫌な予感がしたのだった。
飛行機が滑走路から飛び立ってしばらくすると、飲み物のサービスが始まり機内が活気付いた。男性はその時まで沈黙を貫いていたが(厳密には独り言以外で)、「待ったました!」とばかりに話しかけて来た。話しかけられてまじまじと男性の顔を見た。私より少し年上で30代半ばくらい?40まではいっていない感じの方だった。
「どちらまで行かれるのですか?サンパウロ⁉︎実は僕もそうなんです!」
こちらが訊くまでもなく、その男性はスラスラと出張の目的などを堰を切ったように話し始めた。なんともマズイ展開。のんびり気ままに一人旅を満喫するつもりだったのに、と半ば上の空になりながらその男性の話に適当に相槌を打っていた。
一方的に話を聞かされているうちに、夕食の時間がやって来た。お飲み物は?メインは肉ですか、鶏ですか、それとも魚ですか。フライトアテンダントとの間で決まった会話がなされる。
その男性は、
「Vinho tinto, por favor !(赤ワインをお願いします!)」
と覚えたてのポルトガル語で一生懸命にオーダーしておられた。担当の女性がにっこりと微笑む。英語ではなく、敢えてポルトガル語で注文をしたその男性に敬意を表して。今は無きブラジル航空のフライトアテンダントの殆どがブラジル人だった。その後その男性は「窓のブラインドをお下げください」と、茶目っ気たっぷりなフライトアテンダントにポルトガル語で話しかけられていた。
何となく落ち着かない気分で夕食をいただいていると、その男性に思いもよらないことを告白?された。
「実は僕は痛風なんです。」
初対面で、どこの誰か分からない人物にカミングアウトするにはセンシティブな言葉だった。痛風⁉︎
「アルコールを摂られても大丈夫なのですか?」
無知な私は失礼とは思いながらも訊いてみた。
「痛風は風が吹いても痛い、と言われるように辛い病気なんですが、アルコールは赤ワインならOK。でも、尿酸値を上げるプリン体が含まれる食品、飲み物は避けないといけないのです。ビールはダメ。肉や魚介類の食べ過ぎもダメですね。要するに贅沢病なんですよ。」
と淡々と語られた。「贅沢病」という言葉も心に残ったワードだ。経由地のロスではその男性と一緒の時間を過ごすことはなかった。その方がラウンジに行かれたためだと記憶している。私は特に欲する物もなかったので、椅子がズラッと並ぶ待合室で呼び出しがかかるのを静かに待った。機内に戻ってからその男性とどんな会話をしたか覚えていない。サンパウロに着いたら、日系の農園に直接向かうと仰っていたことのみ覚えている。
長くなったが、そのエピソードを家族に話して、その晩に見た夢が上述の通り。それから今までの帰国の空の旅のあれこれを懐古した。長時間の旅、特に小さな子連れでは大変なことが多かったが、帰りたい一心でよく頑張ったと我ながら思う。(今では同じことは到底出来ないだろう。)ブラジルから直行便があったのも良かった。アメリカを経由しても、乗り換えの必要はなかったから、荷物はそのままで入国の手続きもなし。子供のベビーカーを押しながら入国審査、荷物をピックアップして再預入れ、乗り換えの出発ターミナルを目指すなど、離乳食やミルクの道具、おもちゃや着替え、おむつなどの大荷物を抱えた身ではとてもこなせなかっただろう。(今はそれに感染に対する注意も必要。)
その他にも子連れ飛行機の旅に纏わるあれこれを400字にまとめて書いたことがあった。もしよろしければ。。
https://note.com/kikko_yy/n/n956a0a435031
私も色々経験したが、サラリーマン時代に数えきれないほどの海外出張をしてきたオットは、LAの空港で人生稀に見る大変な目に遭っていた。チェックインカウンターでの銃乱射事件。オットは日本からの出張者をお連れして経由地のLAでストップしている時に事件に巻き込まれた。と言っても経由地なので、すでに中にいたため直接現場を見たわけではない。それでも、逃げ惑う乗客で空港内は大混乱。お土産を物色しに行かれた出張者とはぐれてなかなか見つけられなかったそう。
私は何も知らずに朝市で買い物をしていて国際電話を受け。
「大幅に遅れたけれど今飛行機に乗れた。心配は要らない。」
と告げられ初めて事件を知った。無事で良かったとホッと胸を撫で下ろした。
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長文になりました。お付き合いありがとうございました。はい、どうやら里心がついたようです。春のお花見シーズンで満開の桜のお裾分けを見たらもう。。ちょうど28年前の3月末に勤めていた会社を退職し、サクラやツツジ、藤の花などを見ながら移住の準備を進めていたことを思い出すのです。
日本の規制も大分緩くなって、note界隈の海外組からも近々帰国される方々がチラホラ。久しぶりの母国をぜひ楽しんでいただきたいと思っています。大切な方たちとかけがえのない時を。私はもうしばらく帰れそうにありません。
良いご旅行を‼︎ Boa viagem‼︎