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戸籍謄本から自分のルーツをたどる話②(父方祖父編)

戸籍謄本を取得して、家系図をつくることになりました。家系図作りを通じて、自分のルーツを調べられるだけ調べようと試みています。

▷調査前の基本情報

私⇨岐阜県の田舎町出身。長男。アラサー。
父⇨還暦。釣りが趣味。長男。
祖父⇨後期高齢者。寡黙で働き者。一人っ子。

曾祖父母⇨父が結婚する前に他界。仏間の遺影しか見たことない。
高祖父母⇨お墓に名前が書いているのを見たことがあるような…

今回調べたのは、私が将来後を継ぐと思われる、いわゆる「実家」の家系です。

私は結婚を機に実家を離れていますが、我が家は先祖代々、田舎の村の「百姓」の家系だと聞きます。

今回戸籍を調べる前に、私が把握している情報は以上となります。

▷実際に戸籍謄本を取ってみた

役場の住民課で、ひたすら昔の戸籍の写しを請求します。
直系血族であれば請求できます。

「請求の事由欄」に、素直に「家系図作成のため、追える範囲すべての直系先祖のものが必要」と書いておけば、親切に対応してくれるケースが多いです。
すでに持っている戸籍謄本のコピーや簡単な家系図のメモを持参すると、待っている時間が短くなります。

具体的な取得方法は、いろんな方が詳しいnote記事を書いてくださってるので割愛します。


私の実家のケースでは、先祖代々、その土地に住み着いているので、戸籍謄本の請求先は実家のある市役所の窓口に直接行くだけで済みました。

金額は戸籍謄本が1通450円、改正原戸籍謄本が1通750円なので、計5100円かかりました。

取得できた戸籍

・自分が世帯主の戸籍謄本
・自分が抜けた父の戸籍謄本
・父の改正原戸籍謄本
・祖父が世帯主の戸籍謄本
・祖父が世帯主の改正原戸籍謄本
・曾祖父が世帯主の改正原戸籍謄本
・高祖父が世帯主の改正原戸籍謄本(明治31年式)
・高祖父が世帯主の改正原戸籍謄本(明治19年式)

これらの戸籍から得られた情報は、家系図アプリにまとめています。

戸籍で拾えない情報や、ご先祖のエピソードは、主に祖父母から聞き出しました。(まだ元気なウチにもっと聞き出さなくては…)

▷戸籍から判明したこと

⚪︎5代前・約180年前の先祖まで遡れた

市役所で、改正原戸籍謄本が取得できたのは、4代前 高祖父「太一郎」が戸主のものまで。いわゆる「明治19年式戸籍」で役所が出せる1番古い戸籍はここまでのようです。

ひらがなの旧字体読めん….

高祖父・太一郎の父母の欄を見ると、「父 萬平」「母 つね」とあります。ここが戸籍で名前がわかる父方祖父系の限界です。

高祖父「太一郎」の生年から逆算して、高祖父の父「萬平」は天保年間(1831〜1845)の生まれと推測されます。大塩平八郎の乱、天保の改革の頃…

明治31年式の改正原戸籍では、高祖父の父「萬平」の欄に「亡」と記載があり、明治19年から明治31年の間に亡くなっていることがわかりました。

⚪︎高祖父は安政3年(1856)生まれ

ペリー来航から3年後、台風やら大地震の頻発していた時代に、高祖父「太一郎」は次男として生まれていました。高祖父が11歳の年に大政奉還がされ、翌年に明治時代を迎えることになります。

⚪︎我が家は分家?

明治17年(1884)、高祖父「太一郎」は28歳で、長兄「富次郎」が戸主の戸籍から分家していました。
本家である富次郎家は、現在も近所にありますが、交流はほぼありません。

ちなみに祖父から聞いた情報では、高祖父「太一郎」は8人兄弟であり、近所の同姓の家は同じく分家だとか。

⚪︎高祖父の父は庄屋さん?

高祖父「太一郎」が分家する前の、戸籍には「番戸」の表記がありました。明治19年式戸籍は「番地」が出来る前の戸籍なので、土地ではなく家屋ごとに付番されています。地域によっては「番屋敷」「番邸」とも言うようです。

この番戸が、まさかの「いち番戸」でした。
番戸の付番の仕方は、庄屋しょうやや村役人の家からスタートすることが多いようなので、高祖父の父・萬平の家は庄屋さんだったのかもしれません。

実際の所、曾祖父は「土地貸し」で生計を立てていたと聞くので、ご先祖が庄屋だったのは間違いではないのかも。(相続や土地改良、売却で我が家の土地はだいぶ少なくなったと聞きます)

⚪︎高祖母は安政5年(1858)生まれ

安政の大獄の年に、高祖母「てつ」が生まれています。高祖父「太一郎」に嫁いだのが明治21年(1888)、山を挟んだ隣村から嫁いでいます。

子供は女3人、男1人。この三姉妹の長女が隣村からの婿養子むこようしと結婚し、生まれたのが曾祖母。
三姉妹の年の離れた弟が、曾祖父でした。

つまり、どういうことだってばよ??

⚪︎曾祖父と曾祖母は叔父と姪の関係?

簡単に言うと、こういうことらしいです。

叔姪婚しゅくてつこん」と言い、現在日本の民法では3親等内の結婚は認められません。明治時代の法律でも建前上は禁止されていたものの、昔の風習としては普通にあったようです。

現代でも4親等の「いとこ」とは結婚できるし、年齢が近ければ違和感がなかった時代だったのでしょうか。

⚪︎祖父と祖母は親戚同士?

祖父と祖母は同い年で、中学校の同級生だったと言うことは、なんとなく聞いた覚えがあったのですが、戸籍を辿ると祖母の旧姓と、高祖母・てつの旧姓が同じで、生まれの村も同じでした。

母に聞くと、同じ家系の出身と聞いたことがあるそうで。

祖父と祖母が、親戚関係なのかについては、祖母方の戸籍から明らかにしたいと思います。

▷さらなるご先祖様探し

残念ながら、戸籍謄本から辿ることができた、父方祖父系のご先祖様は、5代前・高祖父の父までとなりました。

⚪︎これ以上昔の先祖を調べるには?

6代前・高祖父の祖父の名前が書かれている記録を探せるかどうかで左右されます。

明治19年戸籍が作成された時点では、おそらく高祖父の父「萬平」は、生きていたと思われるので、戸籍がある可能性はありますが、本家の戸籍となるので、取得には本家の直系の方の委任状が必要となります。

お墓の調査という手もありますが、これも本家の方に断る必要があります。(そもそも本家の墓がわからん)

⚪︎お寺の過去帳・宗門人別帖は?

これも本家の了承が必要だと思われます。というか、実家の檀那寺は最近建て替えられているのできちんと管理がされているか微妙…

⚪︎ヒントは尾張藩?図書館に籠る

地元の郷土史料を中心に現在捜索中です。

実家のある村は、明治維新を迎えるまで「尾張藩領」でしたので、ご先祖様探しのヒントはココにあるのではないかと推測。

明治初期に村役人だったと思われる、高祖父の父「萬平」やその父の名前は、果たして尾張藩の関係資料に出てくるのでしょうか?

もしかすると、庄屋ではなく「お代官サマ」そのものだった可能性も……??

ていうことは、私の先祖は「百姓」じゃなくて…………武士なのか???

つづく

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