生きるのは 自分なんだ。
【今日の 聴き屋】~231日目~
今日は 在宅勤務を時間で終わらせて
1か月ぶりの 子どもの電話相談(受け手)の日 だった。
私が電話を受けるのは 夜の時間帯だから
主に 高校生や 中学生。
2週間ごと 月2回程度で シフトに入っているのだけれど
前回 目が充血し ひどい痛みで 急遽行けなくなり
1か月も空いてしまった。
ずーーーっと
「聴くこと」が自分の長所 武器だと思っていたけれど
ここ最近 その「聴くこと」に関して
怖さとか 恐れが湧いてきていて
正直 1か月ぶりの電話相談に向かう道は
ちょっと 気持ちが弱かった。
1か月ぶりに 電話に出る。
ひとり目。
30分足らずの対話で
自分の進むべき道を 自分で選び取って 元気に電話を切った。
ふたり目。
他の着信状況が比較的落ち着いていたこともあり
1時間あまり じっくり聴くことができた 長い電話となった。
始めは ここ最近に起こっている 困っていることの相談 だった。
じっくり ゆっくり 聴いていく。
でも その中には 「決定的な問題」となるようなものが
本人も 私にも 見当たらない。
でも 困っている。
この時点で 30分は経過している。
さらに ゆっくり 別の角度から 対話をしてみる。
すると 「そういえば。。」
と ポイントとなるような 2つの事柄が 出てきた。
40分を過ぎた頃に
「実は。。」と 気持ちの部分の 大きな塊が 言葉として出てきた。
相談するとき 必ずしも最初から 悩みの核心を話してくれるわけではない。
それは 隠しているとか 話せない とかではなくて
自分自身でも どこから話していいのか わからなかったり
何に 困っているのか 分かっていなかったりすることが
往々にしてあるから。
誰かと話すことで 問題が 明確に 解決するわけではない。
でも
その人の中にある「ひっかかりとなっていて でも 気付いていない部分」に
対話を通して その人自身が気付いていく。
そして 考える場面で 傍らにただただ寄り添うこと
それが 私に出来ることなのだと 改めて感じた。
気付いて そして それから どうするのか
それを決めるのは 本人でしかない。
必ず その力を 誰もが 持っている。
そして 私は そこに 寄り添い
考えることの 手助けをする。
代わりに 生きてあげることは 出来ないから。
自分で 選び 進んで行くしかないんだ。
生きるということ。
代わることは 誰にも出来ない。
苦しくても 進むべき道を 見付けて 選んで
自分で生きていくんだ。
そこで 私に出来るのは
ただただ 寄り添うこと だけ。
生きるのは 自分なんだ。