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縁とタイミングがある!

縁とタイミングは自分の中で重要度高めだなと思っている。

10代、20代の頃は自分の世界も限られていたし、何で悩む?選択する必要があるかって、大きくはバイト何しよとか恋愛くらいだったと思う。
特に恋愛まっさかりだった頃、気になっている人と連絡してもタイミングが合わないとか、誘われたときにタイミングが合わず行けないなどがあると、「あ、縁がないのかも」と思っていました。
なので、そこは自分からなにかを曲げて合わそうとせずに、流れに身を任せて、何度もタイミングが合わないとなると「そうゆうことなのかな」って思っていました。そもそも、好奇心は旺盛だが執着心が薄いというのもあるんだろうけど。
受け身とも捉えられると思うが、特に自分の気持ちが固まってない段階のものに関しては「とりあえず取りに行く!」というパッションはないなぁと思う。

だいたい付き合ってみないと自分と合うとか、本当に好きかなんてわからないし、仕事だって働いてみないと職場環境もわからないし。
だから手に入れる前に駄目になる、始まらない・・・ということに関しては
縁がないんだなと思っている。

運やタイミングで動いて来たわたしが、今まで一つだけ自分の運やタイミングではなく周りのプッシュによって動けた出来事があった。
20代後半に自分がやりたかった職種の募集が社内でかかった。
当時の自分には、まだその募集の貴重さはわからなかった。
今はわかるが社内公募が出るなんてなかなかないことだし、(募集するポジションによるが大抵外部公募が多いし)その職種自体、他の部署に比べてどの会社もヘッドカウントが少ないのだ。

だけどその時の自分は「まだ入社して1年もたってないし」とか、「わたしより前からこの会社で働いている人でなりたい人もいるだろうし」と、自分には社歴的にも時期尚早だと思って応募しようと思っておらず、当然応募の書類も書いていなかった。
今の与えられた仕事でキャリアを積んで、また募集がかかったら手を上げようと。

そんな呑気に構えているわたしを見て、この募集している部署の方や周りの先輩や同僚に「応募しなよ!」と背中を押してくれたのだ。
当然その方たちは、こんなチャンスあまりないよ!ということを理解していたからだと思う。
周りが自分の興味に対してこれほど協力的に考えてくれて背中を押してくれるなんて!とそれだけでとても感動し、感謝し、そんな風に言ってもらえるなら受けてみよう!と、結局応募してその貴重なポジションに採用してもらえたのだ。

自分ではタイミングが悪かったなぁなんて思って諦めかけていたけど、周りのプッシュによって動けたのだ。
本当に周りの方への感謝しかない出来事だった。
これは周りの力によって流れに乗れたというか、自分が見えていなかった運を周りが引き寄せ、気づかせてくれたような貴重な出来事だった。

これによって自分の興味を持った仕事に就くことができ、キャリアを築いていくことになったので、本当に人に恵まれたなと思う。

こんなラッキーなことはなかなかないが、やはり転職や家の引っ越し、友人との出会い別れ等々、「運、タイミング、流れ」だなぁと思う。
そしてその根源には「だから、なるようになる」ということなんだなと。
それは自分にとって「いいこと」も「いやなこと」も。
そうやって基本的にはどっしり構えていられる自分がいる。

そして母に「自分にとって良いように進むようになってるのよ」というようなことを言われた記憶があって、それも信じている。
というか、そうなんだろうなって思っている。
だから、一見良くないことが起こったり、人との縁が切れたとしても、残念だな、とか淋しいなという感情はそこそこに、それはその先には自分にとっていい未来がある、自分にとって結果いいことにつながるんだろうと信じている。

今、仕事を辞めて1年近くになるが、そのスタンスは変わらない。
ときに焦ってしまうこともあったが、仕事も縁だしなと。
だから面接がうまく行かなくても凹まない!
振り返って学ぶことはあるけど、採用されない=自分に合わない会社 とも思うのだ。
まぁ、自分が面接をする側だったこともあったので、面接で落ちたということで自己否定になるほど落ち込むということはない。

自分にとって何が合うか、良いのか、なんて何歳になっても未知数だ。
やってみないとわからないし、そうゆう環境になってみないとわからない。
若い頃のほうが経験がない分、自分自身にも期待値が大きく、どんな世界が広がっているんだろう!どんな人と出会うんだろう!ともっと期待でワクワクしてたけど。
経験を積む色々と予測はしてしまうけど、やっぱり自分自身のことなんてわからないし、どうなるかなんてわからない。

50歳になって、適応障害になって無職になったこと・・・
そんなことが起こるなんて全く予測できなかったし。
字面だけでみるとちょっと悪い出来事のようだけど、現実は辞めて良かった、でしかない。
好きで続けていた仕事を嫌いになっていた状況だったり、ずっと辞めたいと思いながら忙しくて転職活動がやりきれずに在籍し続けてしまった会社に未練などあるわけもない。

また以前にも書いたが会社を辞めるにあたって、チームの人間が自分が信頼できるひとが一人も居なかったこともストレスを抱えてしまった原因なのだが。


辞める約1年前にチームスタッフの増員で社内公募の面接をした。
その時、わたし的に仕事の価値観も近くて、また期待以上の努力をしてわたしの仕事をサポートしてくれたスタッフが応募してきてくれた。
だが、試験の際に実力が発揮できず結果が思わしくなく、実技の結果もほかのスタッフに匿名で見せて選考したが、やはりそれも選ばれることがなかったため、悩みに悩んだ末に別のスタッフを採用した。

選ばなかった彼女の実力は理解していたし、仕事をしていく仲間としてその彼女の方が自分には合っているとわかっていたのに。
その自分の感情を抑えて、平等にジャッジしようと試験の結果で採用別のスタッフに決めたのだ。

当時も今でも、どうして信頼できる彼女を採用しなかったんだろうと不思議な気持ちになるのだが、今振り返るとわたしが会社を辞める流れの中の出来事の一つの要素だったのかなと思う。
あのとき彼女を採用していたら、辞める流れになっていなかったかも。
でも、わたしにとって会社との縁を切ることが大事だったからなのかなと。
見えない力や流れが働いたような気持ちだ。

そして、彼女を採用してたとて同じ流れになったとしたら、彼女のことだけが心残りになったかもしれない。

採用に関して自分で決めたくせに・・・とも思うが、本当にたくさんたくさん考えたうえで出した自分の決断が、今になって、「あ〜、ここにつながってたのかもな」と思うのだ。

そうゆう違和感こそ、その後振り返ったときに、「あ、このためだったのかな」と思ってしまう。

今も人生の旅の途中。
日々、良いこともあれば、辛いこと、嫌なこと、色々と感じるが、きっとまたいつか、「あ、このときのためだったんだな」と思うことがあるはず。

また人に関しても。
縁がある人とは、一旦タイミングが合わなくなったりお別れしても、また出会うことがある。

わたしは今までお付き合いしていて、一人だけ人間的に好きだったなと思う人がいる。
そのひとは決して完璧なひとではないけど、別れたあとも良い人だったな、幸せになってほしいなと思うたった一人のひと。
基本的に別れたあとのことは何も知りたくもないタイプなので、「◯んだ」と思うようにしていたのだけど、彼だけは違った。

そしたら、会うはずもない街で見かけたり、実家に帰る途中のバスが一緒になったり(彼の家は全く違う場所で、聞いたら職場に向かう途中だったので一緒に座ってバスに乗った。)、と会おうとしていないのにこんな偶然があったりしたのだ。
住んでいる場所も働いている場所も全く違うのに。

また友人付き合いも、わたしは頻繁に連絡を取る方ではないが、縁をとタイミング感じることがある。
これまでも、辛いなぁ〜〜〜〜〜〜と本当にしんどいと思うときに、もちろんこの状況を知らない友人がそれぞれ「元気?」という感じで連絡をくれたり、偶然ばったり道であったり・・・・・と、心細くなっったときにわたしの前に現れてくれた。
こうゆうことは自分にはよく起こることだなぁと、なんとなく若い頃から意識していた。

父の病気が発覚したときも、周りにヘルプを出す暇も気力も精神状態でもなく転職の協力をしてくれていた先輩2人くらいにしか言っていなかった。
あるとき父と喧嘩のようになってしまったとき、家に帰ってから久しぶりの友人がLINEをくれた。
父のことは本当にどうしていいのかわからないけど、色々と動かなければならず疲弊していて、自分から連絡する気力はないが、誰かに話を聞いてほしいというタイミングでLINEが入り、結局父のことを聞いてくれてとても気持ちが軽くなった。
仕事のことも、やる気になったら紹介すると彼女の職場の話もしてくれた。
彼女はなんとなくここ数日、どうしてるかな、連絡してみようとおもったんだよねと言っていた。

このように小さいけど奇跡だなぁって思うことって結構あるのだ。

それに励まされながら、向かうべき場所にきっと向かっているような気がする。

今何もやる気が起きないとき、時間はあるのに美味しいものを食べよう!とか、楽しいことをしよう!とか思えないとき。
家で動画を見たり、ダラダラして終わってしまう日々がある。
父の病気が発覚する前は、この長い休みはラッキーなんだから楽しもう!と興味のある場所へ行ったり、やりたいことをやっていた。
でも今はまた一ヶ月に一度くらい、父や家族のことで落ち込んでしまい、気力がなくなってしまうことがある。

何もしない1日を過ごすと、とても無駄に過ごしてしまったという気持ちになるし、自分の時間が止まってしまっている感じがする。
食欲もわかない。人に会う気もしない。楽しいことをしようともできない。
寝ても良い夢も見ない。
正直つらいなと思ってしまうときもある。

でも、どう過ごしても、何もしなくて罪悪感に苛まれても、時間は過ぎていく。変わってないようで、自分も気持ちも少しずつでも動いてっていると思う。

わたしの先輩はそうゆうときもあるし、それでいいんだ。必要な時間なんだよ。また動こうとおもったら動けば良いと言ってくれる。

今は流れ、運、タイミングを待っている時間。
待つってしんどく感じるが、この時間を使って自分の好きを取り戻すんだって落ち着いて楽しもう。
虚無感に苛まれる日もあるけど、「なるようになる」
その流れに乗っていると思えば、とても気楽になり、少しずつ自分の好きな時間を過ごすことができる。

そうやってわたしのタイミングを待とう。
運と縁を感じながら。











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