適応障害その後
こんにちは、kikiです。
前回適応障害の経緯について書きましたが、二回に渡る適応障害の後どうなったかについて書こうと思います。
帰国してからしばらくの間は前回同様気分が塞ぎ込み、何もする気が起きない状態だった。目が覚めたら絶望的な気分で、意識がある状態が苦しいもんだからひたすら寝た。毎日10時間くらい?
友達に会ったり、連絡を取って現状についてカミングアウトしてみたり、そして散歩することを心がけた。どんなサイトを見ても鬱病や適応障害には散歩等のリズム運動が効果ありって書いてあるしね。生活リズムも朝起きて夜寝ることを心がけて崩れないように気をつけた。毎日家にいるのも適応障害のことをぐるぐる考えちゃうから図書館に行って適応障害や心理学の本を借りて知識をつけた。ただぼうっとしてても良くなる気がしなかったから自分のできることはしようって思った。
今回海外で適応障害になったのはクソ真面目で完璧主義な性格とそれに付随した自己肯定感の低さが大きな要因かなって自分なりの結論に至った。
早く新しい生活に馴染まなきゃ。その為には語学学校で毎日勉強してもっと上達して、現地食が合わないなら毎日自炊して、今は無職だからお金も節約しなきゃ。彼とも仲良く暮らして結婚に向かって頑張らなきゃ。家の中も掃除して綺麗に保って、充実した毎日を過ごさなきゃ。家族や彼にも心配かけないように明るい自分でいなきゃ。
無意識のうちに自分にたくさんタスクを作って、あれもこれも頑張らなきゃ‼️少しでも失敗したら自分を責めてこんな所で弱音吐いたらダメだって言い聞かせてた。ストレス溜まっても身体に症状出ないタイプだからまだまだいけるって思い込んでた。
気付いたときには心の限界はとうにすぎてて身体が教えてくれた。これ以上自分のこと虐めちゃダメだよ、自分の気持ちに気付いてって。
涙が止まらなかったのは私の心が泣いてたから。
動悸が止まらなかったのはもうこれ以上走れないよって感じたから。
眠れなかったのは毎日が不安で不安で仕方なかったから。
全部身体が助けてって教えてくれてたんだって今なら思えるな。
この一か月本当に何もしなかった。
朝起きて朝食食べて、洗濯機回して、テレビ観て、本読んで、昼食食べて、昼寝して、時々散歩して、途中からスクワットとラジオ体操も始めて、時々家族や友達と話して、夕食食べて、ゆっくりしてお風呂に入って眠る。
途中から【いつも自分を優先できない人へ】っていう本を読んで、自分のことを優先する考え方を特訓してみることにした。これがなかなか自分には合っていたみたいで、小さな自分ファーストも重ねていくうちに自分の気持ちを優先してもいいんだって肯定的に願いを叶えられることに気付いた。
そんな一見自堕落な生活をしていたら(以前の私ならそんな生活を一日しただけで自己嫌悪に陥って何かやらねばって焦燥感に駆られてた)だんだんゆっくり生きるのが楽しくなってきた。誰に何を思われようが自分のしたいことをする。今日はスタバのコーヒーフラペチーノが飲みたいからいつもなら我慢しちゃうけど買おうとか、彼からLINE来てるけど今は返事したくない気分だから後回しにしようとか。無意識のうちに自分の気持ちを理性で押さえ込んだり、周りの人の気持ちを優先して結果的に自分の気持ちを無視して行動しちゃったり。
こういった考え方の癖、行動の癖を治して行かないと、またこの先仕事なり環境の変化なり壁にぶつかった時に適応障害又は鬱を発症するんじゃないかって思った。適応障害になって気付いたけどたまたま海外生活でこの病気を発症したけど、遅かれ早かれ私の人生の中でぶつかる壁だったんじゃないかと思わずにはいられない。自分の中に内在してる大きな問題、これを解決せずには前に進めないのだと。
自分には価値がある。何もしなくても生きていていいんだ。幸せは一人でも感じられる。
そう思って生きていけるように今はエネルギーを蓄える時間。一か月前より少しだけ自分を好きになれた。