私の適応障害の経緯②
こんにちは、kikiです。
今日は前回の続き、適応障害の経緯をお話しします。
適応障害を発症して帰国したのは年末の慌ただしい時期だった。母親にも緊急帰国するのを伝えていたのでお正月はゆっくり日本で過ごしたらいいよと優しく迎えてくれた。帰国した途端ホッとしたのか緊張の糸がほぐれて、それまで感じていた動悸や不安感、焦燥感は嘘のように消えて空港からのバスの中でうたた寝してしまうほどだった。その日から3日間毎日10時間以上泥のように眠って、余程疲れていたんだなって自分でもびっくりした。
年末年始はお正月の手伝いで忙しなく過ごしていたこともあって何か思い悩む間もなかった。
けれど正月が過ぎると朝から晩まで持て余した時間の中でこれからどうしていこうかって悩んで、日本に帰ってきても何もすることのない自分が不甲斐なくて仕方なかった。
まず考えたのは一緒に暮らしてた彼を残して日本に帰国したことに罪悪感でいっぱいだった。
そして今度いつ彼の元に戻ろうかと思ってもまたあの苦しみを味わうのかもしれないって思うと、怖くてたまらなかった。
元々2週間後に一時帰国する予定があったからその復路チケットで帰ることも可能だけどその時はまだ帰る覚悟が固まらなかった。
体の調子は帰国した途端すぐに回復したけど、不眠症はなかなか改善されなかった。帰国しても心の中には常に問題が山積みでまたしばらくしたら戻らなきゃって思うと不安で押しつぶされそうになった。
滞在中の3週間の中で、週に何度か姉が私の適応障害についての悩み相談にのってくれた。まずは体調を整えることが最優先だし、まだ気持ちの整理ができていないのであれば現地に帰る日付を先延ばしにしてもいいと思うってアドバイスをくれた。何より私の気持ちをじっくり聞いてくれることが辛い気分を癒してくれたし、励ましにもなった。
結局予定通り復路チケットの日程変更をせずに現地に戻ることにした。その決断が良かったのかは今となってはわからないけれどその時は気合いだけで飛行機に乗り込んだ。