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ノルマンディーのミルクジャムを買いました。

中山和也展 2週目レポート

文 : 長嶺慶治郎
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KIKA Galleryにはいろいろな言語を話す人たちがやってくる。英語、フランス語(しばらく使っていなかったので言葉が出ません)、日本語を行ったり来たりしながら、ギャラリーの奥のバースペースで話をし、隣のケーキ屋Comme toujoursでパンやケーキを食べ、中山はこれ今日はアロンジェじゃないんじゃないとか話していた。話題の中心の一つは語学で、僕は帰りの車の中でその話を思い返していたら多和田葉子さんの小説「地球にちりばめられて」を思い出した。小説の内容を少し話すと、デンマークに留学中だった主人公のHirukoの故郷である島国は突然消滅してしまい、スカンジナビア半島で通用する言語「パンスカ」を開発し、同じ言語を話す人を探す旅にでる。
ギャラリーに来た観客の一人にパラグアイ人の方がいて、その人はスペイン語が話せるからポルトガル語も話せるし、旅行したからフランス語も少し話せると言っていた(実際少しフランス語でもやりとりができた)。日本語ではなかなか知ることのできない感覚かもしれないが、中国語の漢字を見たらなんとなく意味がわかるような、パラグアイ人の方のスペイン語とポルトガル語、「パンスカ」もそういった言語なのかもしれないと想像している。

中山は2017年にフランスにしばらく滞在していた時期がある。中山はいまでもフランス語を勉強しているが、当時はBonjourとMerci、そして「Je préfère le fromage pas trop fort.(あまりくせのないチーズが好きです)」という文章だけを持って日本から来ていた。僕の行っていた学校のフランス語クラスに中山も通えないかと先生に相談に行った時、フランスに来てから覚えた言葉「J'ai acheté la confiture au lait de Normandie.(ノルマンディーのミルクジャムを買いました。)」と言い、先生はびっくりした後、英語で会話が弾んでいたのを思い出す。もちろん本当にミルクジャムを買いに行くことが目的ではないので、その時の言葉に何かあるわけではないと思っていた。

中山の「ぼくのゴンドラ(2013)」、も「J'ai acheté la confiture au lait de Normandie.」だったのではと思う。ほとんど初めて過ごす土地で、その土地に何か投げかけてみることによって、距離を測るような実践で、ささやかに見えるかもしれないが主体的にその場所に入り込もうとすることだったのだと思う。ヴェネチアの主な交通手段は船かゴンドラで、旅で訪れたならゴンドラは特に楽しみの一つだったりする。僕もヴェネチアに行ったときは嬉々として乗っていた。しかし、バスのように船で行ったり来たりする生活は、バスや自転車を使ってきた人にとってあまりに突然すぎて、街への歩み寄りが飛躍している。あからさまに決められたルートで、与えられた状況では一方通行で、入り込むことが難しい。みんなが乗っているゴンドラにはまだ乗れないけれど、ヴェネチアでは船を使って生活することがその街を作っている。その街を作っているのでゴンドラは必要で、その瞬間見つけた 「J'ai acheté la confiture au lait de Normandie. 」は紫色のナスだった。しかも、細長すぎず、小さすぎることなく、少しぼってりとしたナスは1〜2人用の小型のゴンドラのようにも見える。中山はその後もビエンナーレの度にヴェネチアに行っている。今はどんなゴンドラになっているのか、バターナッツとか少し曲がった大根とか。「ぼくのゴンドラ」は通常のゴンドラとは違うルートを辿って、遅いかもしれないがヴェネチアを見渡していっている。

《 ぼくのゴンドラ (2013)

パリではその後、中山は実際にミルクジャムを探し始めた。サン=ジェルマンの辺りで中山がノルマンディーのミルクジャムを買いたい、カルフール(スーパーマーケット)にあるらしい、と言ったので一緒に買いに行くとそのカルフールには売っていなかった(はず)。後日、ポンピドゥセンターのあたりを歩いているとジャム屋さんを見つけて、ミルクジャムあるんじゃない?となって入ったけれど、どれがミルクジャムなのかわからなかった。そうしていると、中山は店員さんに「Je cherche la confiture au lait.(ミルクジャムを探しています。)」と伝えた。フランスに行って覚えただけの言葉だった「J'ai acheté la confiture au lait de Normandie.(ノルマンディーのミルクジャムを買いました。)」が、この店はノルマンディ産のミルクジャムはないかもしれないなと考え、Normandieという言葉を省き、文脈も何もない投げかけるだけだった言葉が、一歩ずつchercher(探しています)とミルクジャムを引き寄せる言葉に変化していった。外国語の習得は一朝一夕ではないとはいえ、中山は主体的に投げかけ、一つずつ確認しながら少しずつ、確実にその場所を引き寄せていっていた。

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この展示が始まったころ、僕は中山や石井さん、梶原さんに作品やギャラリーの話を聞いて、聞いたことをできるだけ観客に伝えようとしていた。それはどちらかというとただ投げかけるだけで、相手のことに気を使う余裕がなかった。ギャラリストの新規採用を通して、作品のことを直接的に話すよりも、もっとゆっくりと別の話へ迂回しつつ、お互いのことを少しずつ知っていかないと入り込めないことが次第にわかってきた。日常会話では少し苦手だとしてもやりとりできているかもしれないのに、作品の話となると押し付けてしまうし、これはこの展示に限ったことではない。僕はギャラリー裏のバーカウンターから、ゴングが鳴ったボクサーみたいにギャラリーへ出ていくけれど、中山は何も変わらない。もし何かや誰かを引寄せたかったら、ずっと遅いスピードで一つずつ細やかに接するしかないのだなと、ずっと中山から聞いていたはずなのにすっかり忘れていた。大きなものへたどり着きたいのなら、いまここからしか始められない。僕は与えられた言葉だけでは足りなくなってきて、うまく言えているかは別にして、どんどん観客とのやりとりの中でその場でミルクジャムを探していますと言わざるを得なくなってきた。コーヒーを一口飲んで中山は、これアロンジェじゃないんじゃないと言って、カフェオレでもなく「Cet espresso est un peu fort, est-ce que vous pouvez ajouter quelques gouttes de lait ?(このエスプレッソは少し濃いから牛乳を数滴垂らしてくれませんか)」と言い出した。クセのあるチーズから始まったフランス滞在が、数滴のミルクへとシンプルな存在に変化している。

(このレポートは締め切りに全く間に合いませんでした。ごめんなさい。)

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長嶺慶治郎(ながみね・けいじろう)
アーティスト。京都芸術大学(旧:京都造形芸術大学)情報デザイン学科卒業後、パリ国立高等美術学校修士課程修了。

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