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中山和也展 3週目レポート
文 : 長嶺慶治郎
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中山和也展「写真を使った展覧会ってどう思う?~ギャラリストの新規採用~」の3週目が過ぎた。昨年、日本に帰ってきて久しぶりにこれだけ多くの人と作品について話をしている。いや、これまでこんな短期間にこれほど多くの人と作品について話すことはなかった。今回のレポートでは3週目を過ごして、知ってきたこの作品について周囲の状況を確認しつつ、「ギャラリストの新規採用」を照らし合わせたい。
中山は故意に自分や作品についての話をしない。もちろん聞けば応える準備はあるけれど、特別したいと思っているわけでもないだろう。また、ギャラリーや企画者が行う場合もあるが、中山は展覧会をするときに自ら宣伝をしない。しかし、訪れて欲しくないと思っているわけではないだろう。今回の展示はKG +の枠で行われているため、マップを持って来場する方が多い。あとは偶然見つけた人や、ギャラリーの関係者の友達や知り合い、そのまた友達という様子だろう。ゴールのないやりとりを続けるなかで、中山がなぜ今回このプランにしたのかは当然の疑問だったし、観客にもなぜこれでなければいけないのかよく尋ねられている。正解もテンプレートもないし、その場のやり取りの中で同じ展開のものもないけれど、そうした共通の疑問を通して中山の活動を見渡し、観客を引き寄せようとしていた。実際には話している僕もそうであるように観客の疑問は深まるばかりであったかもしれないけれど。もう少し疑問を広げると、こうした状況は中山だけで作られたのかということ。ギャラリーの他のスタッフの人たちはすでに中山から何かしら指示を受けていたのではという疑問が展示の始まる前からずっと拭えない。中山ならやるかもしれないと思わないだろうか?それぞれの立場の人が僕を内省的にさせることで何か気づかせようとしているのかな(そうだとしたら退屈だ)、とか。いつの間にか意図的に別次元に引き込まれていたのではと、マルチプレイRPGのキャラクターのようだなと、どこか思っていた。しかし、おそらく僕が持っていたそうした疑問はなにも重要ではない。実際にはギャラリーの方たちも、たぶん僕と同じように何も知らなかったし、中山でさえなにが起きるのか予想できなかっただろう。人の心情をコントロールできないことを中山はよく知っているはずで、故意に作品の話やアピールをしないことで、むしろ状況は作られていったのだろう。「ギャラリストの新規採用」という誰も知らない場所に、中山でさえ一緒に到着していたのだった。
でもなぜ作品の話や宣伝をしないのだろう。宣伝というとアーティストを知る機会の一つにアーティストのWebサイトがあるが、中山のWebサイトをご覧になったことがあるだろうか。Webサイトはアーティストについて知る一つの指標にどうしてもなっていて避けて通れないけれど、有名なギャラリー名ばかり並べていても作品や活動と離れてしまっていては承認してほしいとしか見えない。したがって、経歴は気を使う必要のあるポイントであって中山は、というと書いてあることが一見どういうことなのかわからない。横浜トリエンナーレやThaddaeus Ropacがあるかと思えば、地名や施設名が書いてあったりする。中山の書いたテキスト「ドイツの女子高生みたいに」を読むと、「アーティストでもなく」、という言い方をしている。「ドイツの女子高生みたいに」で中山が確認した自身の意識は、中山のフランス滞在中に中山が会ったPeter Fischli & David WeissのPeter Fischliさんとのやり取りでも確認したようだ。Fischliさんは当時、シュテーデルシューレというドイツ・フランクフルトの美術大学の教員をされていて、学生の作品プレゼンがポンピドゥであるということで同行していた。中山の学生であった山川さんという方がシュテーデルの学生で、当時ほかのスタジオからフィッシュリスタジオに移るということで、ゼミ旅行に同行していた。その流れでFischliさんの情報を山川さんから知って、中山がポンピドゥに行くとプレゼンが始まり、終わって劇場の外にいるとFischliさんも外に出てきて、少し話をしていた。中山はしばらく立ち話をしていたけれど、何を話したのか僕が知ったのはつい最近だった。Fischliさんは自分のことをアーティストというより旅人だと言っていたそうだ。また、中山の活動を考えたときに、Jean-Luc Vilmouthさんの存在はとても大きい。中山とJean-Lucさんの繋がりについて少し書くと、中山はJean-Lucさんのことを「少年アート」という本の中で知った。少年アートは、CCA北九州のディレクター中村信夫さんが1986年に書いた、アートを知らない少年がヨーロッパに行って次第にアートワールドへのめり込んでいく様子を書いた中村さんの自伝であり、当時のヨーロッパのアートを紹介する本でもある。Jean-Lucさんは少年アートの中で、特に中村さんに影響を与えた人物として登場し、その中で紹介される日々の実践や作品について、中山が力を入れて説明してくれたのを思い出す。そして中山と僕は2014年に突然、偶然Jean-Lucさんに会う。その様子は中山の書いたテキストから知ることができる。その後、中山はずっとフランス語を学んでいたり、さらなる関係が広がり、そこを起点にした世界は広がり続けている。あの時は全く意味がわからなかったJean-Lucさんのフランス語のインタビューも今では僕も(たぶん中山も)理解できて、こんな風にフランス語で話していたのかと新鮮に感じる。はっきりとは覚えていないが、Jean-Lucさん自身が自分はアーティストだけれど拡声器やアンプのような増幅させる点のようなものだと言っていたように思う。
中山のアーティストとしての意識は薄くなっていて、自身を旅人だと捉えているとしたらどうだろう。中山は、Webサイトはポートフォリオではなく旅日記、展覧会履歴は旅記録とも言っていた。旅の中で、中山が通過した一地点なので有名無名は関係なく、横浜もチュイルリー公園も等しく扱われる。僕は中山を強くアーティストとして押し出しすぎていたし、ギャラリストとしてそうしなければと勝手に思っていたのかもしれない。自身の展覧会について、話の流れで話すことはあったとしても旅先にいることを宣伝し、わざわざ知り合い全員を集めるのはやり過ぎだろう。今回、ギャラリストという意識を持っていない人間を採用したことも、ギャラリストという線引きを薄くあいまいにするためだったのかもしれない。旅先での活動は、それがわざわざ作品だと気づかせる必要がないのも当然だろう。作品と言うとつい身構えてしまうけれど、旅先の出会いのようにいつの間にか作品だったんだという状況は身構える必要がない、というかできない。中山はどこにいても旅ができるのだろうけれど、2019年からWebサイトの更新がないのは、ただ更新していないだけかもしれないが、そろそろどこかに行く機会を狙っているだろうし、行って欲しいなと思う。
そもそも、ギャラリストとしては観客に対していろいろと赤裸々に話過ぎているけれど、新規なので距離感が掴めない。しかし、作品としては対話の中で問われれば返さざるを得ない。距離感の掴めないままのギャラリストということで、ギャラリーにいない時間でさえも残業という形でプライべートに侵食してきている。
(今週もこのレポートはひどく遅れました。ごめんなさい。)
長嶺慶治郎(ながみね・けいじろう)
アーティスト。京都芸術大学(旧:京都造形芸術大学)情報デザイン学科卒業後、パリ国立高等美術学校修士課程修了。