急がないことの価値
先日、ステージ研修の一環として、本年度の初任の先生らが集い、代表による実地授業に学ぶ研修がありました。ここまでの授業づくりの成果を公開しながら、学び合って力量を高めようとする研修です。
その折に、研究協議会場となったのが、図書室でした。たいへんよく整備された図書室で、図書室経営に対する司書教諭の先生や学校司書さんなどの「熱量」が伝わってきます。休み時間に、子らがすすんで図書室に集う光景が想像できます。
協議の開始を待つ間に、私も自然と書棚に目がいきます。手にしたくなるようなタイトルがずらりと並んでいます。
そんな中で見つけたのが、『急がない』という書名の小さなサイズ本です。著者は、葉祥明さん。
手にして読んでみます。詩のようなメッセージがつづられ、そして、その中に次のような表現を見つけました。
研修に集う初任の先生らにもぜひ伝えたいようなメッセージがそこにありました。「急がないことの価値って何だろう?」と、本来の協議そっちのけで、ともに議論したい気持ちになったのでした。
「急ぐ」という心の持ち様は、人と人との間で生きる私たちには、また、共通の時を刻む現代社会に暮らす私たちには、避けようのないものです。「急がせる」ことだってその必然性を伴って発生します。
「大変!遅刻してしまう!急がなきゃ。」「早く食べてしまいなさい。」などのシーンはもとより、より効率的で、より手っ取り早い達成・習得をめざすことも、この「急ぐ」思考です。振り返ってみると、私自身も、授業づくりにおいて、指導者が求める解にいかにコストをかけずに到達させるかという視点から取り組んできました。定期テストでは、制限のある時間の中でいかに多くの正解スコアがたたき出せるかをみてきました。そしてそれをその子の評価としてきました。「急がせる」思考のひとつと言えそうです。
しかし、今、私が求めたいのは、こうしたものではありません。学習者が、真にその主体となって学びを深めていけるのは、試行錯誤が許される学習の場です。初任の先生が、真に子らの指導者となっていけるのは、試行錯誤が許される経験の場があってこそです。ここには、「急がない」「急がないでいい」が価値を持ちます。そして、よく言われる「学び合い」。「学び合い」とは、この試行錯誤の時間をともにすることを指すのだとしたいのです。
子らも、初任の先生も、その学びや成長において急がなくていいです。
急がせてはなりません。