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未来へつなぎとめる、未来へつなぐ
1977年(昭和52年)の夏。この夏は、小学6年生のユウタが深山井(みやまい)という名の山奥の集落にタイムスリップをした夏であり、ダムの底に沈むこととなる深山井にとっての最後の夏です。今から47年前のことですから、ちょうど私が中学生だった頃です。
2024年の夏。アニメーション映画『虹色ホタル~永遠の夏休み~』(監督:宇田鋼之介)をみる機会がありました。タイムスリップした深山井でのユウタの1カ月間が描かれたSFファンタジーです。作品には圧倒的なリアルさで谷あいの村の風景や生活が描かれ、深山井で暮らす人と人とのつながりようも私が子どもの頃に見てきたものでした。なつかしさを伴って一気に私自身もその頃へとタイムスリップした105分となりました。
私の少年時代のことが、よみがえってきます。カブトムシやクワガタは、どうやって捕まえたか。川面に乱舞するホタルは、どうやって捕まえたか。もぎたての真っ赤なトマトは、どんな味がしたか。湧き水につけられたスイカをどうやって食べたか。お寺の境内での朝のラジオ体操の前にみんなとどんな遊びをしたか。ひぐらしの森のにおいはどんなだったか。黒電話はどんな音で鳴ったか。私の記憶の中に、その「答え」が確かにあります。しかし、映画を見終わった私は、その「答え」を再現することがもうかなわないことにも気づきます。そして、さらに、私は、このことに答えられない子らとともに「今」という名の「未来」を生きているのだということにも気づきます。「あの頃」へのノスタルジーと言われれば、それまでなのですが、私たちは、多くのものを失いながら生活をしていることを実感します。ということは、この先、私たちは、今現在あるものについても、その多くを失っていくのだ、とも言えます。「未来」は、大切なものを失いながらやってくるものだとしたら、それはとても悲しいことのように私は思いました。
「未来のためにできること」とは、何でしょうか。それは、失ってはいけない大切なものに気づき、それを心から愛し、いとおしく思い、それをつなぎとめよう、つないでいうとすることなのではないでしょうか。私の今現在の名刺には、次のことを記しています。『「教師」は、人をそだて「未来」をつくる仕事。私は、若い先生とともに学び、その仕事をサポートします。』
私なりのつなぎとめ方、つなぎ方の模索を、これからも続けていこうと思います。
(本文1000字)
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