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「どうせ、わたしなんて…」

「どうせ、わたしなんて…」と言う子をなくしたい。
これは、私が中学校の校長だった時、中学校区となる近隣の学校園と連携・協働して取り組んだ共通の課題です。

「どうせ、わたしなんて…」「どうせ、ぼくなんて…」とつぶやく子は、自分のダメさから自身の存在を価値づけることができにくくなっています。ダメな部分やイヤな部分も含めた自分の「ありのまま」を肯定的に受け止めることができず、努力を積み上げること自体を苦しいことと考え、なかなか力を伸ばせない、力が積み上がらない状態にあるのです。

「どうせ、わたしなんて…」と言う子をなくすこと。それは、言い換えれば、子らの「自尊感情」を高めることです。
このミッションに取り組む際に、私たち近隣の学校園がまずはじめに取り組んだことは、この「自尊感情」を指導者なりに定義してみることでした。

私たちは、議論の末、次のように「自尊感情」をとらえました。

・弱さも強さも全部含めて「かけがえのない私」という受容的認識
・弱さも強さも全部含めて「かけがえのないあなた」という共感的認識
・「思うようにいかなくても、その過程の中で成長できる」という経験的認識
・「人に必要とされたり、人の助けを受けたりしながら、人と人とのつながりの中で私らしく生きてよい」という連帯的認識
そして、これら4つの認識が育ち、それを基盤として子らが自らに対していだく肯定的な感情を「自尊感情」とする。

そして、次のような研究仮説を立てたのです。

うまくいかないことがあっても、「できた」「喜んでもらえた」「うれしい」という経験を学校園や家庭、地域で粘り強く積み上げ、「私は受け入れられている」「人の役に立つことは気持ちがよい」「人と人とのつながりの中で成長できるのだ」という思いをもたせることができれば、自分自身を肯定する感情が育まれて自己受容感につながり、困難に出会っても、たくましく自分らしく生きぬける人となるであろう。

この研究仮説のミソは、「できた(わかった)」「うれしい」「喜んでもらえた」「人の役に立つことは気持ちがよい」「私は受け入れられている」「人と人とのつながりの中で成長できるのだ」というように、研究仮説にありがちな小難しい表現やワードを避け、それぞれの実践者がイメージしやすい具体的な子らの姿(つぶやき)として示し、それを「めざす姿」としたところです。

読者の中に、先生がおられたら、おそらく同様の課題にチャレンジされていることでしょう。
保・幼・小・中の校園種をこえて連携・協働することが求められる実践研究であり、なかなかむずかしい課題です。

では、どうするか。

子らの「心」をつくり、
「学び」をつくり、
「集団」をつくる。

私たちは、この3つからスタートさせました。
(この記事では、その3つの詳細をあえてつづりません。)

やがてはじまる2学期。
子らの自尊感情を高めることのできるシーンを創出し、子らに「4つの認識」を積み上げさせていく確かな実践が求められます。

「自尊感情」を高めるヒント、アイデア、具体的な取り組みなど、「コメント」からいただけるとありがたいです。

この「自尊感情」の育成は、なにも若い時期だけに限った育成ではありません。生涯をとおして、日々、アップデートされなければならないものでもあります。そう考えると、先ほどの3つのスタートラインは、今まさに生きる「わたし」にとっても、大切な大切な視点なのです。
「心」「学び」「集団」をいかに豊かにできるか?「わたし」自身の生き方の模索でもあるのです。

いっしょに勉強しましょう。


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