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「いただきます。」
食育。
各小・中学校にて、「給食」指導をはじめとして、「食の教育」がすすめられています。学校の先生でなくとも、おうちではどうでしょうか?家庭での「食のしつけ」。
さて、
この記事では、先日、3泊4日で挑んだ私の「禅修行」における食事のことについて、紹介します。
(私の記事『ただただ坐す』も、あわせてご覧くださいませ。)
寒い夜をこえ、朝の坐禅を終えた後の「粥座(しゅくざ)」。粥座とは、禅修行での朝ごはんのことです。
おかゆとおかず二品、そして、たくあん。
正座をしていただきます。
静かな静かな、そして、とても集中した食事の時間です。
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おわんは、きちんと手で持って口の高さまで持ち上げます。
常住(長期にわたって禅寺にて修行されている)の方から、私たちに指導がはいります。
「食物(しょくもつ)を見下してはいけません!食物を自分と対等のものとしてみてください。」と。
正座の背筋をさらにのばして顔まで持ち上げます。
「おわんは、お釈迦様の頭蓋骨。それを箸(はし)でたたいて音をたてない!」と。
カチャカチャと音をたてては、いけません。
「ズルズルとすする音を立てては、いけません。集中してください。」と。
おかゆは、たくあんをヘラのようにして扱って口の中に慎重に流し込みます。おかゆがノドを通っていくのがわかります。
緊張感のある食事。
このおかゆが、今日の修行を、今日の「命」を支えてくれる。そのありがたさに涙が出そうになります。ふるえています。禅寺の僧は、気の遠くなるような年月を、こうして修行と命とをつなぐための「食」にていねいに向き合ってこられたのだと悟ります。
「ありがたい…。」
食事前、食事後の「合掌」に、自然と気持ちが入っている自分に気づきます。
食育の基本は、この「ありがたい」であり、「感謝」です。まちがいありません。
下山後の職場での昼食。
合掌低頭して食べ始めるようになった私。
はずかしくはありません。むしろ、これまでより気持ちがいいです。
ここからはじまる「飽食」のクリスマス…年末年始…。
あの「おかゆの輝き」を忘れず、いただく感謝を合掌に込めてつつましく食したいと思っています。
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