子どもと野原にいられる時間を大切にしたい。安野光雅さんの画集から感じたこと
父が安野光雅美術館へ行ったから、と画集をくれた。
私は絵を描くのが好きで絵本も好きなので、安野光雅さんのことは知っていたけど、画集は読んだことがなかった。
ありがとう、とその場ではぱらぱらとめくって、汚さないようにすぐ袋にしまった。
その日の夜子どもが寝た後、仕事のことなど考えているうちになんとなく心がざわざわと、不安な気持ちになってきた。
子どもを育てながら働くのって、器用さとか大らかさとか要領の良さとか、色々必要なんだろう。
うまくできない自分に何ヶ月かに一回は心が折れそうになる。
ふと、画集のことを思い出した。
リビングの本棚の前に座り込んで、1ページずつ眺める。
れんげやほたるぶくろなど、四季折々の植物が描かれている。
各作品に主役となる植物はありつつ、その周辺の、草むらのようすも良い。つゆくさの葉の間はしっとりしていそうだし、つくしの周りの枯れ草はかさかさと音がしそう。同じ水彩で描いているのにすごいなあ。
そして多くの作品の中に描かれているのが、親子の小人の姿。
幼児の子育て中の身としては、この小人たちのようすが気になる。
草のなかでのびのびと遊ぶ子をどこか心配そうに見守る母親や、一緒に木の実を拾ったり、泣く子をあやしたり…
自分にも心当たりのある子育ての一場面が優しいタッチで描かれていて、ほっこりする。
そして近所の公園でも見慣れた、たんぽぽやいぬふぐりのページを見ていて、あ、と気づいた。
小人たちが見ている景色は、きっと、小さな子を育てる大人が見ている景色でもあるんだ。
子どもの背丈に合わせてしゃがんでいることが多いから、大人と行動する時より断然地面が近い。だから野の花や、小さな虫たちとの距離も近くなる。
そしてその側にはいつも、ぐずったり、笑ったりしている子どもの姿。
草むらでしゃがんで、子どもと手をつないでいられる時間なんて、俯瞰して見たら、きっと足元の野の花が咲いて散るまでの間くらい、短くて儚いのかもしれない。
野の花のようにぐんぐん育っていく子どもたちと、それを傍らではらはらと見守る母たち。
小人の親子に自分たちを重ねて、少し心細いような、切ない気持ちになる。
あとがきを読むと、この画集は雑誌『母の友』の表紙として描かれた作品を集めた本ということだった。
(父がこれを意図して選んだのかは謎だ)
ページを閉じる頃には、心のざわつきはすっかり鎮まっていた。
絵にこんな力があるなんて。
いつだって自信はないしオロオロしてしまうけれど。
子どもが小さいからこその幸せも悩みも、かならず過ぎ去っていくもの。
いつかこの景色が懐かしいものになる日のことを思うと、今、何を大切にしたいのかが見えてくる気がする。
これからも子育てで不安な気持ちになった時、この画集をひらいてみようと思う。
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