紀伊路が織りなすパラレルワールド(高橋英明/音楽家)
古来から巡礼がなされてきた場所がある。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラなどが、その筆頭だ。
紀伊路も7世紀以降、熊野三山へつながる道として、あまたの人が歩いてきた。
なぜ、人は歩こうと思うのだろうか。そして、巡礼とは何なのか。
昔であれば、病気の治癒を祈念するためだったかもしれない。
若い巡礼者もいるだろうが、多くはある程度年齢を重ねて、いつの間にか澱のようなものが溜まってきた時、一度立ち止まり、振り返り、考える時間を欲するのではないだろうか。
「紀伊路を10日間、歩きませんか?」
紀伊路SCAPEリサーチディレクターの佐々木さんからお誘いをもらった時に、何かまたとないチャンスをもらった気がした。実は心のどこかでは、このようなタイミングを希求していた気もするが、おそらく自分1人では歩こうという行動にまで、なかなかつながらなかったと思う。
もちろん10日間というスケジュールを空けなくてはいけなかったし、何よりも毎日約30km、合計約300kmの距離を、果たして踏破できるものなのか、という怖さもあった。
それでも何か、自分の奥底に眠っている未知なるものへの遭遇を期待したのだと思う。あるいは、自分のコントロールの効かない領域にアクセスできるような気がしたと言えば良いのか。
ただ1人、古からタイムスリップするような旅
連絡をもらってから、少しずつ毎日歩く準備をし始めた。
もともと、毎日のように泳いだり走ったりはしていたので、ある程度の体力の目処はあったのだが、走るのと歩くのとでは使う筋肉が違うと聞いてからは、歩くことをメインに切り替え始めた。
とはいえ、隣駅までたかだか6kmを歩いて往復するくらいのもので、時折ルートを伸ばしても10kmほどだったから、結局は1日30kmというものを一度も試さず、ぶっつけ本番で歩くことになったのだが。
さすがに行く前に少しは紀伊路の歴史を知っておこうと、中沢新一の『大阪アースダイバー』などを読みつつ、古(いにしえ)の上町台地から見える風景を想像してみた。読み出すと何かロマンをくすぐるものが随所にあり、勝手にイメージを膨らませていた。
そうこうしているうちに、あっという間に歩く日が来た。
初日は午前8時からのスタートで、五月晴れの気持ちの良い日であった。
いざ勇んで歩き出してみたものの、目の前は変哲もない普通のアスファルトの道路である。見えている風景はザ・大阪といった感じで、通勤の人々に混じって何か場違いな面持ちのまま、道のりだけが進んでいった。
想像していたイメージと現実のギャップに戸惑いつつも、むしろただ1人、古からタイムスリップしているような気さえしてくる。
無意識に喧騒から逃れ、遠くの世界へ
ちょうど天王寺駅あたりに差し掛かった時、街の喧騒と共に電車のそれぞれのプラットホームから違う種類の発車ベルが重なり、混沌とした響きが鳴り渡っていた。
人間の耳というのは、目のように瞑ることができないが、その分耳が勝手に感度調整をしてくれるようで、無意識に喧騒から逃れて、いつの間にか遠くの世界に入っていった。
その後もしばらく喧騒は続いていたが、小道を歩くうちに徐々に道幅は広くなり、空も広くなっていった。
気付くとチンチン電車の音が聞こえ出すようになっていた。耳が開いていったのだろう。視覚的な解放感と、チンチン電車の適度な周期感に促され、足取りも軽くドライブされていった。
考えてみると、同じ現実社会にいながらにして、実は違う次元に行っていたような気がするのだ。
こんなことを書くと、何を寝ぼけたことを言ってるんだと思われるかもしれないのだが、日常であって日常では無かった感じなのである。
いや、本当に同じところに戻ってきているのか?わからなくなってきた。
とにかく、この経験が自分に何かをもたらしたことだけは確実である。
今思うと、あの、天王寺駅あたりの喧騒と混沌の時間が、すでにパラレルワールドの入り口だったのかもしれない。
(続く)