紀伊路の旅/大阪を南へ/身体との対話(GOTO AKI/写真家)
(写真家GOTO AKIは2023年11月22日から12月1日にかけて、紀伊路を踏破した。今回の記事はその2回目です。前回の記事はコチラ。)
30kmを超える距離を歩いた翌朝は、身体のどこかに痛みがでるのではないのかと、起き上がることが怖かった。
そっと、自分を試すようにベッドを降りてみる……「ん?」
足には筋肉の疲労を少し感じたが、痛みが全くないことに驚いた。湧いてくる安心感と「喜ぶな。」という自制の声で、朝から脳内はなかなかやかましい。バスタブに熱い湯を張り、ふくらはぎを15分ほど温めてからホテルを出た。
胸にはインターバルタイマーをセットしたカメラが1台。
45リットルのバックパックに3日分の着替えを詰めて、適度な荷重にも慣れてきた。
11月の爽やかな風は、長距離歩行にはちょうどいい。
足も軽く、「楽しい!こんな経験ができて最高だ!」と、関係者の皆さんに感謝してしまう、大人な自分も出てくるぐらいには余裕があった。
この日も大阪の南部へとアスファルトの上をひたすら歩き続ける。
相変わらず視線は一点透視図法に導かれつつも、時として平面構成的なささやかな風景に視線が吸い寄せられる。その多くは水と植物、光や色への反応である。引っかかるという感じが近いかもしれない。
この先にある中央構造線などの大地の記憶にも思いを馳せ、ゆらゆらと思索に耽りながらの旅は、忙しい日常では味わえない贅沢な時間。
あぁ、空気が気持ちいい。
前日同様に考えず、ジャッジせず、あるがままの光景を人工物も植物も等価に受け入れ、前に進む。3~4時間歩くと、12km前後は移動していることに気付き、距離に対する恐怖心が徐々に薄らいでいった。
街が苦手な僕は、郊外へ向かうことで気分が軽くなってきた。
視覚的に似た風景が続き、脳内には透過率75%のレイヤーを重ねるようにイメージが流れ込んでくる。
目の前の光景を二次元化して平面として観るのは一種の職業病かもしれない。自動的に頭に像が浮かび、無形の残像がじわりと広がっては消えてゆく。
「紀伊路」には99の王子と呼ばれる石碑が残っているが、大阪府内の王子は地元の人が知らないようなところにもある。
写真は民家の庭に飲み込まれた「池田王子」の石碑。どうしてこうなったのかはわからないけど、何となく残しておこうぐらいのゆるい判断が働いたのかもしれない。歴史は謎が多すぎる。
もともと関心が薄かった「王子」や「神社」は、「紀伊路」の休憩の道標として、僕の中で機能しはじめていた。
平地が続き、地形の把握が困難になってきた頃、周辺を俯瞰できる駐車場に入り、距離を測った。塀の内側には、ほっておくと生えてくる植物のラビリンス。
同じ駐車場から南方面に目を向けると、霞みの向こうに大阪府と和歌山の府県境の山々が連なっている。
進んでいないようでここまで来たのだという実感と、向かう先がまだ遠いというアンビバレントな感情に包まれる。
朝から4時間ほど快適に歩いてきたあたりで、疲れを感じ始めた。駐車場を降り、和歌山方面へ40分ほど歩くと、沢と小さな森がみえてきた。
靴を脱ぎ、足を投げ出し、ぶらぶらさせる。同行の研究者さんや記者さんたちと一緒に「足ぶら」。ちょっとした甘いお菓子が身に染みる。15分ほど地面に寝転び、体重を大地に預け、森を見上げる。
深呼吸を何度か繰り返し、足からの血流を感じる時間。
無意識のうちに身体と対話している。
この日は午後から徐々に右足が痛くなりはじめた。
アキレス腱が気になって、原因を探り始めたけど思い浮かばず。人間の体はどこか歪んでいるものだから、体重移動かな?と余計なことを考える時間が長くなってきた。周りに迷惑をかけたくないし、誤魔化しながら歩みを進めた。早く宿につかないかな。
煩悩に支配され始めると、意識は外に向かず、これらの写真がどのあたりで撮影されたのか前後関係を覚えていない。
デジタルデータが教えてくれる時間の記録はあるが、身体感覚としての記憶とあっていない。写真は記憶の外部装置的な側面があり、今この記事を書きながら二次的な体験をしている。
この日の宿は泉南市。急に冷え込んだ夜、身体で前に進むことの喜びを噛み締めつつも、現実的に襲ってきた足の痛みをどうするか。
これくらいのささやかな困難は何度も潜り抜けてきた写真家人生を思い返し、大丈夫でしょ、という楽観的な自分が出てくる。
歩き切った充実感に心は満たされているし、考えてもしょうがないからしっかり寝るだけ。
もちろん、そんな夜はよく眠れない。情けない。
明日は山に入るというのにぐだぐだと。そんな夜を過ごしました。