紀伊路の旅へ - プロローグ – (GOTO AKI/写真家)
大学生だった30年前、世界一周の旅の途上で、長距離を歩く数多の旅人たちと出会ってきた。
サハラ砂漠を徒歩で横断しているという冒険家。
アフリカを南から北まで歩くバックパッカー。
「いつか自分も徒歩の旅がしたい」
長い期間、潜在意識の中に沈澱していた、長距離歩行への憧憬。
2023年1月、その思いを発酵させる話が、音楽家の高橋英明さんから不意に舞い込んだ。
「AKIさん、(旋律デザイン研究所の)佐々木さんから連絡が入ると思うけど・・・紀伊路のことを先に言っておこうと思って。」
「まずは歩くだけで、撮らなくていいと思う。」
どんな会話があったのか、一字一句は思い出せないが、すぐに全体像を把握できなかった記憶が残っている。
写真家に「撮らなくていい」という旅とは?
直感でわかった。
ただの移動ではない、精神的なことを含む何か。「行く」と即断した。
後日改めて話を聞くと、相談の内容はこんな感じだった。
「長距離を歩きながら、写真家の眼に何が見えるか、何を感じるかを教えて」
300kmを歩き通す旅への恐怖と好奇心
日頃、日本の自然風景をモチーフとして創作活動を続ける中、撮影に出る前にリサーチで得る情報が、先入観という「側」となり、邪魔になることがある。
「紀伊路」で求められていたのが「感覚を伝えること」であるのならば、いつもの撮影の通り、「調べすぎずにフラットな状態で行く方がいいのではないか?」と感じた。
出発が2023年11月と決まり、旅が徐々に現実のものとなると、怖がっている自分が貌を見せ始めた。
「待てよ。300キロ近くも本当に歩けるのか?体力持つかな?」
「靴どうする?」
「着替えどうする?」
「人のペースに合わせて歩くのは、きついかも。」
歩きたいという好奇心とは裏腹に、心身のストレスが気になってきた。
「撮らなくていいと言われたけど、カメラなしの旅など考えられないな…
カメラをぶら下げて300キロ近くも歩いたら、首がやられるな。」
今までの旅とは、何もかもが違いそうであった。
不安を取り除くために、長距離歩行に適した靴と乾きやすい3日間分の服を買い揃え、近所の公園を5~6キロ歩く生活を3ヶ月ほど続けた。
カメラはEOS R10という小型のミラーレスカメラを選び、軽量の広角ズームレンズを1本装着して、カバンのショルダーストラップにぶら下げた。
写真に自分の意思が入りすぎないよう、15秒ごとに自動的にシャッターが切られるインターバルタイマーの設定で、機械的に撮影することにした。
ブレようがなんだろうが、写真の質よりも、身体のありようがそのまま刻まれればいい、と思った。
長距離を歩くことへの準備が整い、2023年11月22日午後、紀伊路のスタート地点である大阪市内の「八軒家浜」へ向かった。
高揚感と頭で思考する感覚を持った旅の始まり
歩き始めは身体的な疲労もなく、旅の高揚感が勝っていた。
何かを知覚しようとする自己が前面に出て、頭で感覚を鋭くしようとしていたのかもしれない。
人の動き、夕方の光や色彩などの視覚情報だけでなく、聞こえてくる街のノイズや誰かの言葉など、細かな音も耳に残って、自然の中にいる時のようなフラットな感覚がまだ得られない。自分が邪魔して、頭で思考する感覚を引きずったままだったような気がする。
その夜は通天閣近くの宿に泊まったが、ネオンの色彩が網膜に残りよく眠れなかった。
2日目の早朝、通天閣から四天王寺へ向かい、深く息を吸い込んだ。
30km以上歩くのは初めてで、不安と期待がないまぜになりながら、阿倍王子、万代池、住吉大社方面へと歩き出した。ワクワクするけど、あぁ眠い。旅の始まりはいつも寝不足だ。
歩く方向は南方面で、逆光、半逆光に近い光を目にしながら進むことになる。細部や色が見にくい光は、感覚的に状況を捉えるにはちょうど良い。
大阪の路は、一点透視図法のように先へ先へと目線を誘う。
視覚が「遠景」に引っ張られ、目の前の光景は、立ち現れては左右に消えていく。10kmを超えた。15kmを超えた。アプリの徒歩計が距離を伸ばす。
どこも痛くない。
不安が減っていく。
「王子」をいくつ通過しただろう?
もともとアイコン的・記号的なもの、名前がついたものには興味がなく、ほとんど記憶に残らない。
むしろ、残像として記憶されているのは、周辺の何でもない光。
川面の反射、軒先の植物の緑、水底が見えている貯水池。何でもなさそうな場所が妙に気になる。
空間に身を委ね、全てを等しく受け入れる
興奮が落ち着いて適度に疲れてくると、歩きながら空間に身を委ねるような感覚が自分の中で交差し始めた。それは呼吸と風景がシンクロして、人工物も植物も、等価に受け入れていく感覚。
「入ってきた!」と感じてその場に没入するが、しばらくすると「コーヒー飲みたいなぁ」とコンビニにも立ち寄って、俗世の吸引力にも抗えない。
途中、何度休んだだろう。
束の間の休息の間、植物に囲まれた空間が時間を巻き戻す。
歩くスピードが落ちてくると、人工物の渦の中を歩きながら、アスファルトの下の地形へと思いを馳せた。
「ジャッジするな。優劣をつけるな。そのまま歩け」と身体が言う。
静かな想像の時間でも、自分の中は結構うるさい。
この日の宿は、和泉市の宿。
どこも痛くないが、30kmを超える歩行と緊張感で、身体がかなり疲れたことに気づいた。心の中からは、「最後までいけるかも」という安堵の声も聞こえる。
あぁ、腹減った。
部活の後の高校生のように空腹感に襲われて、肉を頬張り、食欲を満たした。明日の朝、どこも痛くないことを願いつつ、「今日はよく歩いた」と自分を褒めて眠りについた。
(つづく)
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