空と風と記憶と(高橋英明/音楽家)
(音楽家 高橋英明は2023年5月、10日間をかけて紀伊路を踏破した。今回の記事はその2回目です。前回の記事はコチラ。)
この日(2日目)はちょうど大阪、和泉府中のあたりを歩き始めていた。
初日はまだ歩き始めたばかりだということもあって、まだなんらかの興奮状態にあったように思う。
1日歩いてみて思ったより疲れも感じず、「あっこれなら全然いけるな」と正直ほっとした気持ちになった。
快晴の中、小さな路地を通りつつ井ノ口王子跡や池田王子跡などを辿っていく。
貝塚市あたりから徐々にロードサイド的な道になっていく。
まだ午前中だというのに、日差しが強く照り返しがジリジリとくる。
あらかじめ道程表ももらっているので、その日その日の歩く距離などは情報的にはわかっているのだが、実際歩いてみると数字には現れないものが色々出てくる。
ロードサイドを歩き出して、早速閉口したのは道の「単調さ」というもの。これが何気に手強い。
そしてもう一つは、絶え間ない往来の車の騒音などからくる「空間的逃げ場のなさ」というものも。
暑さもさることながら、この二つは結構堪えた。
これが紀伊路ではなく、競技的にマラソンやジョギングであればまた違ったかもしれない。それならば歩く(走る)ことに専念して、スマホか何か音楽を聴きながらやり過ごすこともできると思うのだが、紀伊路を歩く人の大方はあまり音楽を流したりせずに歩いているのではないかと思う。(実際はどのような感じで歩いていたのかは聞いてみないとわからないが、、。)
そう、この紀伊路は、やはりここは巡礼の場所なのだ。別に音楽を聴きながら歩いちゃいけないわけではないのだが、この10日間というのはある種の修験道的な要素があるとは思っていて、折角そういう経験をしているのだからその意味を考える時間ではないかと思ったりするのである。
常に騒音に晒されると、なかなか心も晴れないし、
古(いにしえ)を夢想する余裕もないまま現実の状況を突きつけられる。
途中、一度だけ佐々木さんのナビゲートによってロードサイドにあるパチンコ屋の屋上まで上がって小憩をしたのだが、ちょっと自分の目線が高くなって視界が広がるだけで、ずいぶん心が晴れやかになった。そしてそよぐ風が気持ちを楽にしてくれた。もちろんほんの束の間ではあったが。
そこからはまた延々とロードサイドが続いていたが、その後、積善寺城跡を越えたあたりから、時折自然の木々や小川を感じられる様になって来て和らいで行った。
いかに精神とつながっているかを考えさせられる。
この後も南近義神社や泉佐野の樫井古戦場や海会寺跡など辿り、この辺りから軒を連ねる風景も所々に出てきたりして、何か雰囲気が変わりだすのを感じた。
と同時に、実はこの辺りから記憶が曖昧になってくる。
というのも毎日だいたい10箇所くらいの王子を辿っていくのだが、無意識に大量の外界の情報(視覚的にも聴覚的にも、さらに嗅覚など)を全方向的にキャッチしようとしているようで、だんだん午後くらいになるといつの間にか脳が疲れてきてスルー状態になっていたように思う。
脳の思考を経由せず、まるで剥き出しの感覚器に直接記録がなされていくような感覚に囚われていた。
そして自分にとって大きなインパクトのある記憶だけがハイライトとして浮き出してくる感じがする。
この日の記憶としては、延々ロードサイドを歩いてしんどかった記憶と、夕食に食べに行ったイオンモールが大きすぎて(1日歩いて観てきたもののサイズ感に比べて)人工物としての建物の空間にギャップがあったこと、そして相当エネルギーを消耗していたのか普段の倍くらい沢山食べたのを覚えている。
その日の宿に辿り着くと、足裏が疲れ果てていて、部屋の中ですら動くのが難儀だったのでひたすら足をお風呂で揉みほぐす。
2日目の歩行距離は32kmほど。そのまま倒れ込むようにベッドへ。
翌朝、目覚ましのアラームで起こされるまで一度も起きなかった。
僕自身は元来とても眠りが浅く家人の衣擦れの音で目が覚めるくらいなのだが、一日中身体を使っていると、人間は否応無く深く寝るもんだなと思う。
身体を使うことがいかに重要かということも考えさせられた。そして今回の旅はある意味、身体を通して思考する訓練なのかもしれない。
起きてからも部屋の中で移動するのがしんどくて、果たして本当に今日出かけられるのかと弱気も出てきていたのだが、それでも非情にも出発の時間はやってくる。
おそらく一人だけで歩いていたら、ついつい自分を甘やかして、もう少しゆっくりしてから出かけようと思ってしまったり、もしくはどうにかショートカットできないだろうかと色々な邪心が芽生えていただろう。
3日目は信達一ノ瀬王子からスタート。木々のボリュームも増えだし、朝の鳥の囀りなどで気持ちが良い。歩き出せば、さっきまでぐずぐずしていた自分が嘘のように思う。
林昌寺の高台からは見下ろすことができ、遠くには淡路島もうっすら見えている。いつの間にか随分遠いところまで来たなぁと思う。 (続く)