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大学病院が「無能な医者」を育ててしまうのはなぜか

いつも記事を見て下さりありがとうございます。

「大学病院は教育制度や仕組みが整っていて、医師の仕事の基本を学ぶことができる」、そのような話を聞いたことがある人も多いと思います。しかし実際に働いてみると、"自分ではなにもできない"中高年が意外と多いことが分かります😅😅

もちろんとんでもなく優秀な人もいます。一方で、大学病院がいわゆる”お荷物”と呼ばれるドクターを生みやすい土壌になっているのもまた事実であり、その要因を考えていきます。


大学のルール以外を学ばない

大学医局は極めて閉鎖的なコミュニティです。多くの大学病院に当てはまるのが、「評価が組織の中に閉じてしまっている」ことです。

参考記事)

大学に長くいると、みんなの目線が"組織での評価"に向かい、市場が見えなくなってきます。「大学外からも評価されるような、希少価値のある専門性」よりも、「大学内での評価」が重要となります。大きな失敗をしてしまうと悪評がずっと消えず残ってしまうことになるため、「とにかく失敗するようなことはしない」が全員の基本戦略になってきます。合理的に成果を追求するより、周囲への忖度や根回しが重要になり、「充実した仕事をし、達成感を得ること」にインセンティブが働きづらい環境が構築されています。

「人にお願いすること」が主な業務になっている

当然ですが、専門領域のことは専門科に任せたほうが、仕事のクオリティは格段に高くなります。大学など大病院の場合、一緒に仕事をする専門科はすでにそろっており、関係もたいてい出来上がっています。心臓のことは循環器内科に、糖尿病のことは内分泌科に相談してといった具合です。

自分の専門外のことは、決められた専門科に決まったお作法でお願いをして、結果を確認して、自分の科内で方針を調整する、みたいな業務を延々と繰り返しているドクターも多いと思います。

こうなると、その人の業務は「お願い」「調整」「報告」が主になり、実際の診療に必要な能力はまるで身につきません。肝心の自分の専門領域に関しても、「代替困難な専門性」どころか、専攻医レベルで成長が止まっているドクターも多いのではないでしょうかか。

「やってますアピール」だけの仕事が多い

人が増えると調整事項も加速度的に増えます。教授・准教授・医局長と、職位のザブトンが多い大学病院では、とにかく報告や調整にかける時間が長くなりがちです。同時に組織内の偉い人に「頑張ってやりました!」というためだけの努力賞的な仕事も大量に発生します。

「なにも成果は出ていないけど、とりあえずなにかやったことにしたい」みたいな表面を取り繕うだけの仕事に終始して、重要な成果はなにも出ていない、というケースは多々あります。そういう仕事の姿勢は癖になり、余計に成果が出にくくなるという悪循環を起こします。

まとめ

時間の積み重ねは大きいです。

無駄の多い、重要ではない仕事ばかりをして10年20年と過ごすと、無事「自分ではなにもできず、他人にお願いすることしかできない中高年」が誕生します。

今の20代30代が、将来リストラ候補になるような中高年になってしまわないよう願ってやみません。

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今回の記事はこれでおしまいです。
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