あと何回親に会えるのか。
かけ算は本当にすごい。
2×2は4。9×7は63だ。義務教育で九九が登場するのは小学校2年生のときだったと思うけど、1の段から9の段までぜんぶ覚えさせられる。
足し算と引き算しかできなかった1年生が、かけ算を覚えると、計算の幅が広がる。
「こんなの勉強して何の役にたつの?」と質問するような子どもではなかったが、どんなものもいつか必ず役に立つ。知識は泉だから。
…
先日、関西出身の27歳の男性に会った。
彼が言っていた。
「イトーさんね、人生はぜんぶ計算できるんですよ」
私は「と、言いますと?」と尋ねた。彼曰く「たとえばです。あと何回親に会えますかね?」とおっしゃるので「う〜ん」と考え込む。彼は続けて、
くそったれめ、たしかに。
残された限りある時間の中で「親にあと何回会えるか」というテーマは、よくある話題だけど、それをしっかり考えたことはなかった。
彼が言うことには「限られた回数しかもう会えないんです。ってことは、その回数をしっかり認識していれば、親に会ったときの接し方が変わるわけですねん」である。
その会話の中では、具体的な計算をしなかったが、この会話から数日が経過した今日現在においても、その回数を計算していない自分がいることに気づいた。
ふむ。
斜に構えてる場合じゃない。ネタもない。
ならば計算してみようじゃないか。単純なかけ算だ。小学校2年生で九九を覚えた自分に「ナイス」と拍手。
私は親にあと何回会えるの?
これを計算するには、前提条件を出す必要がある。年齢、すなわち年数だ。
・両親の現在の年齢
母:52歳
父:59歳
・平均余命(参考)
女性の平均余命:87.9歳
男性の平均余命:81.0歳
・母はあと何年生きるか
87.9歳-52歳=35年
・父はあと何年生きるか
81歳-59歳=22年
うーん、母はまだまだ生きるなぁ。逆に父はあと22年か。もちろん人生100年時代と言われて久しい現代だから、必ずしもこの限りではないけど、まぁいい。
・父と母に会う周期
月1回くらい。もしくは2ヶ月に1回くらい。同じ札幌市内だから。間をとって年間でならすと、約9回といったところか。両親とは年間9回会っている計算だ。これは割と多めの頻度で設定している気がする。つまり、想定の最大値を割り出せるイメージだ。
さぁ、ここまできたら、かけ算の出番。古代の数学者と、小学校2年生のときの担任、山本先生に感謝しながら計算してみる。
・母にあと何回会える?
35年×9回=315回
・父にあと何回会える?
22年×9回=198回
実家に行くと、父と母が揃っていないときもある。どちらか片方だけがいるパターンだ。
細かな計算はわからないので、母に会える315回と、父に会える198回の平均を出してみよう。
平均値の求め方は何年生で習ったか忘れた。小学校3年生から小学校6年生にかけての担任、後藤先生と郷先生に感謝しながら計算。
(315+198)÷2=256.5回
となると、ならして最大あと256回会える。
256だと!? こ、これは!
2の8乗の数値だ! おぉ、美しい。
256かぁ……なんだか思ってたよりも多い気がするぞ?
でも待てよ?
……そういや、1回に会う時間はどれくらいだろう? う〜ん、2時間くらいのもんかな。よし、大体2時間としておこう。
となると、一緒に過ごせる残り時間は……
256回×2時間=512時間
512時間か。これを日数に換算すると?
512時間÷24時間=21.3日間
な、な、なんと!
21.3日! てことは3週間ジャストじゃないか!
おいおい、私はあと3週間しか両親と過ごせないのか!
先ほどの256回という数字だと「おいおい、まだまだ会えるじゃん」と思ったが、時間に換算すると話が変わってくる。残り3週間の命、吹けば消えそうな風前の灯に変わった。
関西出身の彼の言葉がよみがえってくる。
うぅ、なんて悲しいんだ。
最大3週間。
たしかに1回の訪問を大切にしようと思える。あの人の言ってることは間違ってない。むむむ、そう考えてみるとだ。
子どもが生まれてやがて成人し、親の元を離れるときがくる。赤ちゃんのころからずっと一緒で、でも成長して離れていく。私もそのプロセスから漏れない。
幼年期、少年期、青年期というのはほぼ、親と一緒にいるわけだから、その膨大とも思える時間も計算できるわけだ。
その限られた時間を計算することはここではしないけれど、でもいつか子どもが我が家にきたのなら。
まっさきに残り時間を計算して、そして大事に大事にいっしょの時間を過ごそう。子どもとの接し方と、言葉にできない愛しさが、大きく変わるにちがいないから。
【告知】次回の音声配信は初登場のこの方と