私だけの免許皆伝の思い出。

免許皆伝かいでんという言葉をはじめて知ったのは、小さなころに、小説『竜馬がゆく』を読んだときだったような。

あの小説の第1巻、第2巻くらいは、主人公坂本竜馬の青年期が描かれるのだが、剣術道場での話がやけに多い。その中で「免許皆伝」という言葉が出てくる。剣術における免許皆伝だ。

免許はわかるんだけど「皆伝かいでん」がよくわからない。

よくわからないんだけど、言葉の響きとしてなんだか魅力的だ。「KAIDENカイデン」だもん。


これを書いていて思ったけど、免許皆伝というのは「すべて」を「伝」えた、みたいな意味なのかな、と思ったりする。君に教えることはもう何もない、みたいな。



「免許皆伝」という言葉は、この令和の時代に聴き馴染みがない。「昨日、やっと上司から免許皆伝されてさぁ」とか「ようやくお酒が飲めるようになったよ、免許皆伝!」と言ってる人は見たことがない。


見たことがないのだが、20歳のときの私は「免許皆伝」を言い渡されたことがある。


だからきょうは「免許皆伝の思い出」を書こうと思う。お察しの通り、自動車学校で運転免許を取得したときのことだ。


それではいってみよう。



-免許皆伝の思い出

モテたいかモテたくないかで言うと、どちらかといえばモテたい。……いや、やっぱちゃんとモテたい。私はそういう20歳ハタチだった。

札幌市北区には麻生町あさぶちょうという街がある。札幌市営地下鉄、南北線の麻生あさぶ駅がある若者の街。

20歳の私は、この麻生町にある麻生自動車学校に通った。運転免許を取得するためだ。チャリをこいで、アイスを食べながら通った。



当時の麻生自動車学校は、担当講師がつきっきりで指導してくれるシステムで、私の担当は松沢先生(仮名)という30代の細身の男性だった。

松沢先生は、銀ブチの細いメガネをかけていて物静か。「軽率」という概念を鍵つきロッカーにしまってきたかのような、きちんとした身なり。暑い夏だったのに長袖を着ていて、なんらかのポリシーを感じさせる。


「あなたがイトーさんですね、ではいきましょうか」

そう言われた20歳当時の私が思ったのは(うひゃ〜、気難しそうな先生に当たっちゃったなぁ)であった。



松沢先生の指導は、一貫してロジックの話が多かった。ミラーの確認方法、ブレーキペダルの踏み方、なめらかなアクセルワーク。淡々と教えてくれる。プライベートの話など皆無。この先生は「軽率」を母親から教わらなかったのではないか?


と、思っていたのだが。



ある日の練習場内での教習中、私が逆手さかてハンドルをしてしまったことがあった。

サカテ〜



松沢先生は「ちがう」とピシャリ。それではダメだと。きちんと両手でハンドルを持ち、順手でにぎる。ハンドルを回すときは手を交差させてやるべきなのだ、と教えてくれる。

私は「あ、へ、へい」と首をすくめながら答えたのだが、その指導の終わりに松沢先生が言ったのは、



逆手じゃ女の子にモテないよ?」だった。



「逆手じゃ女の子にモテない……だと?」

松沢先生の頭の中で「このイトーという生徒は大学生だから、女の子にモテたいと思ってるだろう」と偏見を持たれていたのは心外だったが、でも「逆手じゃ女の子にモテないよ〜」は絶妙に私に心をくすぐった。そしてこう思った。

(なんだ、松沢先生まっちゃん、わかってんじゃん)


その日からなぜかわからないけど、女の子にモテるためのドライビング講座も開講された。

背もたれの位置、ハンドルさばき、足のペダルワーク、ギアを入れ替えるときの左手の美しい所作、ミラーの確認方法、すべてが「モテ」の一点に集約される指導。



ある日の教習で、こう聞かれた。

「イトーさんね、運転で最も難しいのはなんだと思う?」

「……う〜ん、バック駐車ですか?」

松沢先生は「チッチ」と静かに指をふって言う。表情を一切変えずに言ってくる。




「車内の温度調節さ」

ゴクリとしてすぐ、たしかに! となったものである。運転手の体感温度と助手席の体感温度は違うのだと教えてくれた。

この温度調節を制する者がドライブデートを制するらしい。なんだかそんな気がしてきた! 別に「先生! ドライブデートがしたいです!」と言ってもないのに!


「イトーさん、外気がどんな気温でも、室内は暑くもなく寒くもなく、一定に保つの。そして、最も大事なポイントは……」

「ぽ、ポイントは?」


「その気遣いを、女性に悟らせないこと」


ま、ま、松沢先生まっちゃん、ありがとうございます!



さて、ニコリともしない松沢先生との二人三脚モテドライビング講座は最終局面になり、実際の道路も運転を重ね、残すは札幌市手稲ていね区にある、運転免許試験センターでの試験のみとなった。

麻生自動車学校での松沢先生まっちゃんによる最後の個別レッスンが終わって言われたことは、


「イトーさんはね、今まで指導してきた生徒の中でもトップクラスです。自信を持ってください。試験にも受かりますし、これからモテます」

スチャ



ま、ま、松沢先生まっちゃ〜ん

お世辞だとしてもうれしいです!


そして最後に言われたのだ。


「もう教えることはありません。免許皆伝です」



そこから私が結婚するまでの8年間、松沢流モテドライビング技術テクが、北の大地は北海道に、ハート型の軌跡を描くことになるんだけど、


……それはまた別のお話。


<あとがき>
松沢先生の指導が素晴らしかったおかげで、私は今まで一度も警察のお世話になったことがありません。つまりゴールド免許です。淡々と指導する松沢先生は冷酷なところがあり怖いのですが「モテ」の一点で共通理解を得られた途端、それはもうたくさんのことを教わりました。大事なのは「気遣いを悟らせない」ことです。今日も最後までありがとうございました。

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ゲストヤス(ウエダヤスシ)さん

<プロフィール>
書く人の、書く人による、書く人のための文章で楽しむサロン『放課後ライティング倶楽部』主宰。作家ひすいこたろうさんと「3秒でハッピーになる名言セラピー」第4弾出版。ひょっとこ仮面はリアル有名人のため。大阪の人。

案件じゃないよ!

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