高校サッカー部の王様。
田舎者の私は必死だった。
第一志望の高校に合格した私は、入学前の3月からすでに高校のサッカー部の練習に参加していた。
普通は4月の入学後に部活の練習に参加すればいいものを、早めに練習に参加したのは、監督に自分をアピールするためであった。
常識の範ちゅうの男である。
練習はさすが高校レベル。
中学生には少しきつい。
と、思っていた。
私と同じように、早くから練習参加する新入生もおり、少しだけ仲良くなった。
彼は言う。
ゴクリ。
VVV。
札幌の中学生年代における名門サッカークラブである。北海道大会の優勝チームで全国大会の常連。
ブラジルに遠征までするようなチーム。
札幌サッカー少年の憧れ。
メンバーが多すぎて、1軍から4軍くらいまであるようなチームである。私のような弱小チームの出身者は、VVVの主力選手を拝んだことすらない。
VVVの主力選手は、大きな大会にしか登場してこないのだ。たいていの練習試合には3軍以下が登場してくる。
サイトーはこのVVVの1軍選手であり、私は小学生のころから彼を知っていた。
サイトーは小学生のころから他を寄せ付けない独特なオーラを放っていた。それでいてサッカーがうまかった。
有名人だったのだ。王様だったのだ。
入学式を終えて、サッカー部にも続々と入部希望者がやってくる。どこどこのチームで主力でした、とか、区の選抜に選ばれていました、だとかの人間がいて、田舎者の私は胸を躍らせた。
我が母校のサッカー部は、
それぞれがまずまずうまいのに、強豪私立へあえていかず、公立から下剋上しちゃおうぜ、
というチャレンジャー集団であったのだ。
1学期の春。本格的に練習が始まる。
札幌新川高校のサッカー部、
その部員数は約90名。
公立高校にしては多い。いや、多すぎる。
と、思っていたのだが、あることに気づいた。
メンバーを見回しても、あいつがいないのだ。
VVVのサイトーが。
王様がいない。
なんでサイトーはいないんだろう、と疑問だった。だって、1年生はどんどん入部してきて、すでにレギュラー獲得のためのレースは始まっている。
サイトーも同じ高校にいるのなら、
練習に来ているはずなのに。
…
ある日、体育の授業があった。
ふたクラス合同で行われる体育の授業。
体育館に整列して授業の説明がなされる。
私は1年3組で、1年4組との合同授業だった。
誰かが言っていたことを思い出す。
はっ!
そうだそうだ!
サイトーは4組だ!
ってことはこの空間にあいつがいるはず!
と、思った私はあたりを見回した。
あいつの顔はわかってる。
小学生から知っている。
他を寄せ付けない、
独特のオーラを放ったサイトーだろ。
サイトーはどこだ、サイトーはどこだ。
…
いた。
なんか話しかけづらいオーラを放って、真顔のサイトーがつっ立っているではないか。あいつめ、すました顔しやがって。私の気持ちはこうだ。
その後しばらくしてから、彼がとうとう練習に参加する。その実力をまざまざと見せつけられた。
速い、強い、うまいという吉野家もびっくりな三拍子であり、すでに超高校級の選手であったのだ。
誰よりも練習に遅れてきたサイトーは、1年生から背番号を与えられ、異例の速さで1軍選手となった。
以降、3年生の最後の試合まで一度もレギュラーの座をゆずったことがない。
攻撃のタクトを振るう中心選手として、
最初から最後まで君臨し続けたわけである。
さて、
彼はなぜ最初のころに部活の練習に来ていなかったのか? 大人になってから彼に聞いた。
サイトーが練習に参加していなかった理由。
それは単純明快で、
「めんどくさかったから」らしい。
天才的である。格が違うのだ。
……
…
そして、このVVVのサイトー。
32歳で会社を設立する。
私と一緒に。
誰よりも近づきがたいオーラを放ち、寡黙で何を考えているかわからない男だった。
なのだが私は彼と一緒に会社を作った。
私が副社長で彼が代表である。
彼とは高校3年間で、まともに会話をしたこともない。高校卒業後、私は北海道に残り、彼は東京に行った。
以降、東京に行くたびに彼に会い、社会人になった後は同じ札幌に暮らし、青い池に行き、バルセロナに行き、シンガポールへ行き、大学除籍のときには相談し、と、つまりは良き友となった。
実はサイトーもまた、
小学生のときから私のことを知っていたらしい。
彼にはサッカー以外にも、誰もがうらやみ驚くような特殊能力が授けられているのだが、
続きはまた気が向いたときに書こう。
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