医者の息子の第2ボタン。
自転車を買ってからというもの、ひたすらバイシクルな毎日を送っている。今朝、道をシャーっと走っていて気づいたことがあった。
ヘルメットをつけて自転車に乗るサラリーマンが増えているのである。
昨今の道路交通法の改正で、自転車に乗る人はヘルメットを着用することが努力義務になった。努力義務なので、着用してもいいし、しなくてもいい。
どちらかというと着用したほうがいいですよ、事故ったとき大変ですからね、みたいなもんだと解釈しているけれど、ひとまず札幌市内でも自転車withヘルメットの人たちが増えている。
私の場合、こう書いているくらいだから、ヘルメットは着用していない。自己責任。
ヘルメットを着用している人は感覚的に10人中4人くらいの割合だろうか。ヘルメットをきちんとつける人というのは、おそらく保険関係とかもキチンとしていそうだな。つまり、キチンとした大人である。そこにある種の「だらしなさ」は1ミリも見えない。
そう思って自転車をこいでいると、ふと思い出したことがあった。「だらしなさ」に関するエピソードである。
高校時代の同級生に、実家が病院を経営しているという男友だちがいた。名前を外科山くん(仮名)。
外科山はスラっとした男で、ある程度仲良くなったあとに彼の口から「おれ、お父さんが医者なんだよね」と聞いたとき、当時の私はとても意外に思った。
なぜ意外に感じたかというと、高校における彼はヤンキーの部類だったからである。高校デビューのために気合なんて入れずとも、それまでの生き方それ自体がすでにデビュー組みたいな、天性の陽キャ集団がいるでしょう。
いつも明るく、ちょっと悪くて、学ランの第2ボタンは当然あいており、上靴のかかと部分をいつでも踏んでいるような。
私の高校にもそういう陽キャ集団がおり、外科山は医者一家なのにその集団に属していた。ちなみに私はといえば、ヤンキー集団から「ダーキ! 授業ノートをコピーさせてくれよ!」と言われれば「ハハハ、いいよ」と言ってるクソイモ男。
ヤンキー集団たちの服装はいつもだらしなく、夏になると白いワイシャツのボタンはどこまでもひらいており、なんならナゾのネックレスが見え隠れするような。なのに勉強はちょっとできるような、そういう悔しい存在。
そんな集団にいた外科山だったのだが、彼のワイシャツのボタンは第2ボタンがキチンととめられていた。他のヤンキーが第2、第3、なんなら第8ボタンくらいまであいているのに、外科山だけはまるで優等生のような見た目をしていたわけである。
ある日気になったので外科山に尋ねてみた。
「なぁ、外科山。君はなぜワイシャツの第2ボタンをとめているんだい? みんなあけてるのにさ」
こう聞いたときの外科山の返事はいまでも覚えていて、そのセリフは今の私の服装・見た目に対する美学の基礎理論になっている。
外科山の返事はこうだった。
「なんでってダーキ。だらしなさの中にかっこよさはないからね」
おお〜。外科山ぁ。
だらしなさの中にかっこよさはない。
名言だ。
名言であるのだが、冒頭の自転車のヘルメットは別の話にしておきたい。努力義務を守るって、かっこいいんだけど、まだヘルメットを着用する気にはなれないんだなぁ。
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