vol.15「慌てずにじっくり探せばいい」リハビリハウスみやま 谷口史典さん
僕が1日型のデイケア施設に勤めていた時、利用者さんが退屈で「暇や、暇や」と訴えてくるのを聞くのが辛かったんです。
ある時、「半日だったらいいんじゃない?」と思いついて、勤め先から独立して半日型のデイサービス施設を開業しました。
当時の僕は、深く考えてなくて(笑)。
「やってみたらやれるんじゃない?」という感覚で始めたんです。
「きほくる | 紀北町魅力ナビ」にお越しいただき、ありがとうございます。
今回の「しごとカード」インタビューは、紀北町小浦(きほくちょう・おうら)にある『リハビリハウスみやま』の経営者であり理学療法士の谷口史典さん(たにぐちふみのり)さん。
高校卒業時は特にやりたい仕事がなく、自分に合う仕事を探すために様々なアルバイトを経験した谷口さん。
理学療法士になったきっかけや、利用者さんとの関わりを通じての気づき、
利用者さんよりスタッフの方が多かった開所当初からどうやって利用者さんに喜ばれるデイサービスになったのか等、
明るく元気に語っていただきました。
理学療法士とは
ケガや病気などで身体に障害のある人や障害の発生が予測される人に対して、座る、立つ、歩くなどの基本動作能力の回復や維持、および、障害の悪化の予防を目的に、運動療法や物理療法などを用いて、自立した日常生活が送れるよう支援する医学的リハビリテーションの国家資格を有する専門職。(公営社団法人 日本理学療法士協会HPより一部引用)
この記事は「しごとカード」に登場していただく“紀北町で働くひと達”に、地域おこし協力隊の豊川がインタビューしていくシリーズです。
あなたは、どんな風に働きたいですか?どんなところで、どんな人たちと働きたいですか?
あなたが、自分に問いかけ、自分の中にある答えと出会っていく。そのきっかけに、この note がなれたら嬉しいです。
1. 「ありがとうございました」と言われる仕事
ーーこれまでの経緯を教えて下さい。
谷口さん(以下、敬称略) 僕は1981(昭和56)年、紀北町引本浦(きほくちょう・ひきもとうら)生まれ。現在、相賀(あいが)在住です。
2才の時に父の転勤で引っ越し、小6の時に祖母が亡くなったのをきっかけに神奈川県横浜市から引本浦に戻ってきました。
その後は潮南(ちょうなん)中学校から尾鷲(おわせ)高校へ行きました。
当時は特にやりたいことがなく、高校卒業後は自分に合う仕事を探すために様々なアルバイトをしました。
ーーどんなアルバイトをしたんですか?
谷口 ガソリンスタンドやトヨタ自動車の工場、鉄工所などで働きました。
ーーそこから、どうやって理学療法士に?
谷口 紀北町にある病院のリハビリ助手の求人があって、働いてみたら「この仕事は自分に合うなぁ」と思ったんです。
ーーなにか手応えがあったんですか?
谷口 それまでの仕事は自分がお客さんに「ありがとうございました」と言っていたんです。
でも、リハビリの仕事はお客さん(利用者さん)から「ありがとうございました」と言われるんですよね。
ひとに喜んでもらえる仕事っていいなぁ、自分に合ってるなぁと思いました。
そう思いながら仕事を続けていると、病院側から「奨学金を出すから理学療法士になってみないか?」と提案があったんです。
ーーそういう経緯で理学療法士に!
谷口 はい。そして、資格を取るために名古屋の学校に行きました。
ーー何才の時ですか?
谷口 25才です。当時付き合っていた彼女(現在の奥さん)と入籍し、一緒に名古屋に行きました。
ーーいろんな仕事を経験してから学生に戻ってみてどうでしたか?
谷口 理学療法士になるための学校は夜学だったので、かなりハードでしたね。昼間はアルバイトして夜は学校で勉強して…
若かったから出来たのだと思います。今だったら倒れてますね(笑)
ーー大変な状況で、やり遂げるモチベーションとなったものは?
谷口 勤めていた病院の奨学金で通っていたので、怠けている場合じゃなかったんです。
それに、夜学は僕と同じように昼間働いて夜勉強している人が多かったんです。
自分だけサボるなんて恥ずかしかったんですよね。
「しっかりしなくちゃ!」という気持ちで頑張りました。
2. 半日ならいいんじゃないか?
ーー学校を卒業したあとは?
谷口 紀北町に戻りました。29才のときです。
その後は、奨学金を出してくれた病院に併設されている介護施設で理学療法士として7年間働きました。
ーーそこから、どんな経緯で独立開業に?
谷口 僕はずっとその施設に勤めるつもりでした。
そこは1日滞在型のデイケア施設で、1日いると利用者さんは退屈なのか「暇や、暇や」と僕に訴えるんです。
僕はその訴えを聞いているのが辛かったのですが、ある時、「半日ならいいんじゃないか?!(暇じゃないかも!)」と思いつき!
半日型のデイサービスを開業してみようと思いました。
ーーそれが独立開業のきっかけですか?
谷口 そうですね。
もうひとつあるとしたら、僕は「50才になったら、新車でクラウンを買いたい」という夢があって
「このまま従業員として働いていたら、それはちょっと無理かも」と思って、独立を考えました。
※2020年11月、トヨタ「クラウン」は現行モデルをもって生産中止との発表があり、谷口さんの「50才で新車のクラウンを!」という夢は、永遠の夢となりました。
ーーどんな風に開業準備を進めたのですか?
谷口 なにも考えてなかったですね(笑)。
親にいつも怒られるんですけど、僕は思いついたらすぐにやるんです。
「やってみたらやれるんじゃない?」という感覚でした。
ーー開業となると色々とやることがありますよね。
谷口 「まずは、土地を探そう!」と不動産屋に行ったら「おととい売りに出たばかりの土地がありますが、見に行きますか?」と言われて…
案内されたのが、ここ(現在、施設がある場所)です。(笑)
(リハビリハウスみやまがある小浦地区と白石湖)
3. 壁に穴を開けて繋げればいい。
ーー開業してみてどうでしたか?
谷口 最初のころは、スタッフが2人、利用者さんが1人でした。
ーースタッフの方が多いじゃないですか!(笑)
谷口 そうなんです。(笑)
この立地なので、最初はここに介護施設があるって知ってもらえなくて…
(リハビリハウスみやまさんは、道路から少し上がった所にあります)
谷口 僕は、思いついたらすぐにやりたい、行き当たりばったりタイプ。
開業するのに採算が合うかどうかもあまり分かっていなくて…
それでやってみたら、介護保険の収入って2ヶ月遅れで入ってくるんですよ。
だから最初の頃なんて給料を払えるわけがなくて、慌てて銀行に追加で借り入れして…
そんな時期がありがながらも、なんだかんだで今に至ります。
ありがたいことに、今は定員いっぱいなんですよ。
ーーそんな大変な始まりからどんな風に変化したのですか?
谷口 ケアマネージャーさんが利用者さんを連れて見学に来てくれたり、口コミで広がったりして、だんだんと利用者さんが増えていきました。
(増築した棟)
ーー開業からどれぐらい経ちますか?
谷口 2021年の8月で4年経ちます。
最初は1棟で始めたのですが、途中で利用者さんが入りきらなくなり…
3年目にもう1棟増築しました。(上部写真)
周りから「最初から大きく建てておけばよかったのに」と言われました。
でも、僕は「壁に穴を開けて繋げればいいじゃないか」みたいな考え方。
なんとかなるよ的な考えなんですよ、僕は。(笑)
それでここまでやってこれたから、運が良かったんでしょうねぇ。
4. 僕より2倍生きている人
ーー谷口さんの1日の仕事の流れは?
谷口 朝8時頃に一番下の子どもを幼稚園に送ってから利用者さんのお迎え。
施設でリハビリをし、11時半に利用者さんの送り。
お昼を挟んで、13時半に午後の利用者さんをお迎え。
施設でリハビリをして16時半に利用者さんを送り、17時過ぎに施設に戻って終了です。
経営者としての仕事はリハビリの合間にやったり、忙しい時は夕方からやったりしています。日曜日がお休みです。
(トレーニング室から白石湖を一望できます)
ーー利用者さんは施設でどんな風に過ごすのですか?
谷口 機械でトレーニングしたり、マッサージ機でマッサージしたり。
コーヒーを飲みながらお喋りしたり、カラオケもします。
実は、この部屋(インタビュー会場)はカラオケ室なんですよ。
僕が吸音材を壁に貼って、ドアも防音にしたので、カラオケボックス並みに歌えます。
(谷口さんの後ろの突起しているスポンジ状のものが吸音材)
ーーカラオケも出来るんですね!
谷口 利用者さんが「暇だな」と思わないように、楽しんで過ごしてもらえるように色々と工夫しています。
ーー谷口さんが仕事をする上で大切にしていることは?
谷口 利用者さんを尊重することかな。
この仕事をしていると、自分より2倍生きている人と関わることは当たり前。
利用者さんと冗談を言い合ってふざけたりもします。
そんな時でも年長者として顔を立てることを忘れずにいようと思っています。
ボケていようが、トイレに1人で行けなかろうが、僕らよりずっと長く生きている人なんだということを、いつも胸に置いています。
ーー尊重する気持ちを持ち続けるために気を付けていることは?
谷口 うーん、あまり手伝いすぎないことかな。
自分で出来ることは、出来るだけ自分でやってもらいたいと思っています。
利用者さんに付き添って僕らが手を引っ張って歩いた方が早いし、僕らの仕事量は減って楽。
でも、それはちょっと違うかなと思うんです。
『ここで出来ても、自宅で出来なかったら意味がない』と僕は思っているので。
5. あなた達が使って。
ーーこの仕事の喜びは?
谷口 利用者さんから感謝してもらえることですね。
「ありがとうございました。」と言ってもらえるとことが嬉しいです。
リハビリが終わって利用者さんを送ってご自宅で降ろした後、僕らの車が見えなくなるまで利用者さんが見送ってくれるんですよね。
ありがたいなぁと思います。
ーー利用者さんにとって、谷口さんやスタッフの皆さんが大切な存在なんですね。
谷口 利用者さんが楽しんでここに通ってくれているということだなぁと思っています。
僕個人の感覚ですが、デイサービスは「家族では世話がしきれないから(デイサービスに)行ってほしい」と家族に言われて来ている方が多いよう思います。
そんな中で、ここは「自分が楽しいから通っている」という利用者さんが多いように感じます。
ーーそれってすごいことだと思います。
谷口 何事もそうですが、嫌々通っていても面白くないと思うんですよね。
利用者さんが楽しんで通ってもらえているのは有り難いですね。
ーーこの仕事をしていて一番嬉しかったことは?
谷口 以前、高齢の男性の利用者さんが亡くなりました。
その時、その方の奥さんが利用者さんのお財布に入っていた3万円を「あなた達が使って。」と持ってきてくれたんです。
「たぶん、おじいさん(利用者さん)はあなた達が使ってくれたら喜ぶと思う。」
「おじいさん、ここに通うのを楽しみにしていたから。」って…
今思い出しても、泣けます。
有り難く頂いて、みんなで焼き肉を食べに行きました。
ーーその利用者さんやご家族にとって、ここはとても大切な場所だったんですね。
ーーこの仕事で大変なことは?
谷口 利用者さんの中には病気をもっている方もいます。
心臓が悪くてペースメーカーをつけているとか、脳こうそくを患ったとか。高齢の方も多い。
以前の職場で、その日元気に来ていた利用者さんが帰ってからお風呂で独りで亡くなっていたということもありました。
利用者さんが今日は元気でいても、明日元気でいてくれるとは限らないんです。
だからこそ「今日会うのが最後になっても悔いのないように、利用者さんとしっかり関わって楽しんでもらおう」と思っています。
ーーひとの死は辛いですね。
谷口 それもそうなんですが、自分がひとの死に慣れてくることがしんどい。
最初の頃は、お1人お1人泣いていました。でも、段々と慣れてくるんです。
「人間は忘れなければ生きていけない」と聞くし、それが自然なことだとは思うけれど、気持ち的になんだかしんどいですね。
ーーそれが現場のリアルなんですね。「死に対して慣れてくること」も「そのことに違和感を感じて、しんどいと思うこと」も、私は大事なことのように思います。
6. そのままやっていけばいいよ。
ーー目指しているものや今後の目標はありますか?
谷口 僕個人としては、理学療法士は今までやった仕事の中で自分にピッタリだと思っている。
けれど「自分の人生で、これがベストなのか?」という気持ちが少しあります。
「もっと楽しい仕事があるんじゃないか?」と思ったりして。
トラック運転手もしてみたかったし。正直なところ、違うことをやってみたいという気持ちがある。
ここの敷地が余っているので、他に何か出来たらいいなぁと思っています。
ーーあなたにとって、仕事とは?
谷口 遊びの延長みたいなところがありますね。
利用者さんと喋ってふざけ合ったりしながらワイワイして、楽しいです。
今思うと、若い頃は自分が楽しめる仕事を探すためにいろんな仕事をしていたのかなと思います。
仕事によって「行きたくないなぁ」とか「今日は頑張るか!」とか、モチベーションも違う。
いろんな仕事をやってみることで自分に合う合わないを判断していたんだと思います。
ーー好きな言葉は?
谷口 「おもしろきこともなき世をおもしろく」
高杉晋作の言葉ですね。
高杉 晋作は、江戸時代末期の長州藩士。幕末長州藩の尊王攘夷志士として活躍。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。(ウィキペディアより)
「面白くないのなら、どうしたら面白くなるかを考えたら?」と僕も思います。やるなら面白くしたいし、楽しみたいですね。
ーー谷口さんは名古屋で働いた経験がありますが、都市部で働くことと紀北町で働くことの違いを感じますか?
谷口 都市部は騒がしかったなぁと思います。街の音とか人の多さとか…
僕は騒がしいのが苦手なので、こちらの方が楽ですね。
あとは、都市部は時間に縛られている気がします。そして、慌ただしい。
紀北町とは時間の流れが違うなぁと思います。こっちは、とてもゆったりしていますね。
ーー紀北町で好きな場所は?
谷口 銚子川(ちょうしがわ)です。
夏は、子ども達を連れて毎週行きます。(上部写真:銚子川・平尾エリア)
ーー二十歳のころの自分に声をかけてあげられるとしたら?
谷口 「慌てずにじっくり探せばいい。そのままやっていけばいいよ。」と言ってあげるかな。
二十歳の頃は自分に合う仕事を探して、いろんなバイトをしていた頃ですね。
「就職したら何十年もその仕事をするんだから、あまり慌てないでおこう」と思っていました。
そうやって慌てずにじっくり探した結果、今こうしていられるのだと思うので、あの頃の自分は間違っていなかったと思います。
ーー最後に、若い世代のひと達にメッセージをお願いします。
谷口 僕は、若い人たちに紀北町に帰ってきてほしいと思っています。
とは言え、町内に仕事がたくさんある訳じゃないので、僕らの世代が頑張って何かを創っていく必要がある。
「僕らが頑張るから、帰ってきてくれよー!」「仕事を何とかつくるから、帰ってきてくれよー!」と言わなきゃなぁと思っています。
若い人達、僕らの世代が頑張るから紀北町に帰ってきてね!
ーーそれは私も同じ思いです。力を合わせて頑張っていきましょう!今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
【リハビリハウスみやま・谷口史典さんからのメッセージ】
・なんとかなるよ。
・面白くないのなら、どうしたら面白くなるかを考えたら?
・慌てず、じっくり探せばいい。
・僕らの世代が頑張るから、紀北町に帰ってきてね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回の リハビリハウスみやま・谷口史典さんのお話はいかがでしたか?
あなたの中にある仕事に対する思いや大切にしていることを感じるきっかけになったら嬉しいです。
(取材先情報)リハビリハウスみやま
〒519-3414 三重県北牟婁郡紀北町小浦391 Tel:0597-31-4188
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