十干十二支のマニュアル作り
おはようございます、ぱんだごろごろです。
note生活4年目に入りました。
生まれ変わった気分です。
昨日は、十干十二支(干支)の表を作って過ごしました。
まず、各種十干十二支の表の中から、音読み、訓読み両方が書いてあって、暦で言えば何年に当たるのかも書いてある、親切な表を見つけました。
▼(下に載せてあります)
右端に和暦(元号)が書いてありますが、ここを最初の「大正14年」よりさらに遡っていって、「三浦梅園」が生きていた時代の和暦を当てはめる作業をしていたのです。
なぜかと言うと、当時(江戸時代中期)の人たちは、書や漢詩や文章(撰文)を書いたときに、自分の名前(号だったり、名だったりします)と日付を書き入れます。
が、その日付には、西暦を使っていないのはもちろんですが、和暦の年数を書かず、代わりに干支が書いてあることが多いのです。
「天明」は元号ですね。
ただ、何年かが書いてありません。
江戸時代の人は、干支で、「丁未」と書くだけで、ただちに何年かがわかったのですね。
ところが、現代人で、干支に馴染みのない私にはわかりません。
日本史を専門にしている方には、すぐわかるのでしょうが、私の場合、「丁未」って何年だったっけ、といちいち計算することになるのです。
そこで、その煩わしさを解消しようと思って、「干支早見表」、つまりアンチョコ(死語かも? 自作の三浦梅園専用年号マニュアル)を作ったのです。
一行ずつ、右端に、西暦と、和暦を書き込みます。
小さな字で、延々と作業を続けます。
ああ、ようやく終わった・・・。
この表で見ると、「丁未」は43番目。
43の「丁未」の、「令和9年」の右隣には、【1787年、天明7年】と記入してあります。
「天明丁未暮春」とは、1787年、「天明7年」三浦梅園が65歳の年の、暮春(陰暦3月)のことでした。
干支の読み方は、まだマスターしていません。
三浦梅園生誕300年記念学会の日までに、何とか学者先生たちの前で、恥をかかない程度には読めるようにならなければ、と今練習中です。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。