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お守り言葉
こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、昔、実家の母から言われた言葉が、今では私自身のお守りのようになっていることについて、お話ししたいと思います。
その母の言葉とは、
「たとえ結果が上手くいかなくても、その時は、それが最善の策だと思ってしたことなのだから、それでいいのよ」
この言葉には、何度も救われてきました。
自分自身の就職試験や資格試験からはじまって、子どもの入学試験に至るまで。
準備に準備を重ねてきたつもりだったのに、思わぬ展開から、悔し涙を流す結果になってしまう。
こんなことは、長い人生の間、何度となく経験してきました。
初めのうちは、自分のほうが先を行っていたのに、いつの間にか同僚に追い越されてしまったり、一年目は優秀賞を取れたのに、二年目以降はさっぱりだったり、何回昇格試験を受けても落ちてしまうなど。
このように、いわゆる逆境に置かれたときは、自分の何が悪かったのだろうと思い悩み、客観的に自分を見ることができなくなり、果ては、自分には何の価値もないのだと、ひたすら落ち込むだけになってしまいがちです。
そんな時に、私を救い出してくれたのが、この母の言葉でした。
▼自分の努力が足りなかった
▼しっかり勉強してきたつもりだったのに、本番で力を出すことができなかった
▼○○ではなく、もっと◆◆に力を入れるべきだった
後悔の言葉を並べ立てる私に、
「でも、その時は、そうするのが一番良いと思ったから、そうしたのでしょう?」
母は言いました。
「それはそうだけど・・・」
口ごもる私に、
「結果として、上手くいかなかっただけで、ぱんだはその時できる精一杯のことをしたのだから、それでいいのよ」
「試験に落ちてもいいの?
代表に選ばれなくてもいいの?」
「じゃあ、その時それ以上の何ができた?」
「たぶん、あれ以上のことは出来なかったと思う・・・。
ただ、もっと違うやり方があったのに、それに気が付かなかったことを思うと、悔しいのよ」
「それは、終わった後になって初めてわかるもの。誰にだって最初からわかるものではないのよ」
母の言葉は、子どもたちの小学生時代、PTA活動や子供会活動での人間関係が上手く行かずに困っていた時にも、私を助けてくれました。
「良かれと思ってしたことが、上手く行かず失敗したとしても、その時それが一番良いと思ってしたことなら、それでいいの」
後悔しても、反省しても、どうにもならないことは、もうあれこれ悩まない。
後処理をきちんとしたら、もうそれで終了とする。
「その時、最善を尽くした自分に自信を持っていいのよ」
今も、ことあるごとに、母のこの言葉を思い出します。
先が見えなくて、一歩を踏み出すのがためらわれるような時も、母のこの言葉を思って、
「まあ、いいよね、失敗したとしても。今はやってみるべきだと思うから」
と勇気を出して、その結果、思いがけず良い出会いに恵まれたりもしてきました。
母とは、けっしてうまが合う方ではなく、見栄がすべて、というようなその生き方に、ずいぶん反発もし、反面教師にもしてきました。
けれど、いつだったか、母がくれたこの言葉をお守りにして、握りしめて生きている私がいます。
これからも、母がくれたこの言葉は、私を支え続けていってくれると思っています。
▼偶然見つけたのですが、三年前に書いたこの記事の中で、母のこの言葉を取り上げていました。
自分に自信を持てない理由の一つを、
「②過去の失敗を思い出すから」
として、以下のように、その克服法を述べています。
②過去の失敗を、「自分は、その時にできる最善を尽くしたのだから、それで良かったのだ」と思うこと。
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今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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