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私が仕事を始めたきっかけ

こんにちは、ぱんだごろごろです。
先日、子ども達の学校時代、PTA活動をするようになった経緯について、記事にしました。

今日は、それに引き続いて、それまで専業主婦だった私が、仕事を始めたきっかけについて、お話ししたいと思います。

22才で大学の学部を卒業し、24才で大学院の修士を修了した私は、
25才の時にお見合いをし、
26才で結婚し、
27才の時に、娘を出産しました。

息子を出産したのは、30才の時です。

娘が生まれてからは、専業主婦になり、以来、息子が中学に入る年まで、幼稚園の母の会の役員やら、小学校のPTA委員やら、町内会のブロック長やら、子供会の役員やらの活動をして来ました。

言ってみれば、地域のボランティア活動ですね。

さて、私は、自分が私立の中学・高校に行って、とても良い経験をしたので、子ども達にも、出来れば私立の中学に進ませたいという希望を持っていました。

幸い、夫も賛成してくれたため、まず娘が小学校の4年生になるタイミングで、近所にある、中学受験用の塾に入れました。

息子も同じく、お姉ちゃんが無事入試に合格し、小学校を卒業すると、入れ替わりのように、新4年生用のコースに入りました。

3年後、息子の受験も終わり、
娘が高校1年生、息子が中学1年生になるのに合わせて、
私は働きに出ることになったのです。

では、なぜ、仕事をしようと思ったのか。

子どもの中学受験が終わったから、というのは、ちょうど良いタイミングでした。

が、それだけが理由てはありません。

①義母から逃れるため
②民生委員から逃れるため
③お金のため

これらのうち、どれが決め手になったのか、①が大きかったのは確かですが、②もありました。③だって、立派な理由です。


まず、①からですが、当時、義母は60代、まだまだ元気で、旅行もお出かけも大好きなタイプでした。

義父が69才で亡くなったため、しばらくは萎れていましたが、そのうちに俄然元気になり、生き生きと活動し始めたのです。

バス旅行に行ったり、親戚の家に泊まりに行ったり、友達とショッピングに出掛けたり、
義父が生きていたときには出来なかったことを、思う存分楽しんでいるようで、夫と私は、結構なことだと思っていました。

ですが、そのうち結構とばかりも言っていられなくなったのです。
なぜか、義母は、私を誘わないと悪いと考えたらしく、しょっちゅう、どこかへ一緒に行かないか、と言ってくるようになったのです。

たまにならいいのですが、しょっちゅうとなると、そうそう良い顔もできません。
お誘いを断ると、すぐに機嫌が悪くなる義母の、言いなりになって付き合うのには、限度がありました。

お誘いを堂々と断れる理由が必要だ。

そのためには、私が働きに出るのが一番だわ。

私は、そういう結論に達しました。

それには、以前、ちょっとした嫌みを義母から言われたのも、後押しになったのです。それは、

『ぱんださんは専業主婦で家にいられて、良いご身分ね。
私の知っている人のお嫁さんたちは、みんな働きに出てるわよ。
旦那さんにだけ働かせて、自分は家にいるなんて人、今どきいないわよ』

というものでした。

そういうあなたはずっと専業主婦でしたよね、しかも、それを自慢げに話していましたよね、

なーんてことは、申しません。

今、言ったよね、『かわいい息子にだけ働かせて、オマエはけしからん』と、今言ったよね。

だったら、私、お仕事を始めま~す。
ですから、お義母さまのお相手も、もう出来ません。
あら~ぁ、残念ですわ~ぁ。


そういう経緯で、私は、義母のお誘い攻撃から逃れることができたのでした。

②はですね、前提として、
今は、民生委員のなり手がいない、同じ人がずっと担っていて、委員さんの高齢化が進んでいる、
という事情があります。

ある日、町内会の役員さんから、
『民生委員になる気はないか』
と打診されたのです。

彼らから見ると、40代だった私は、若いように見えたらしいのです。
さらに、子供会の会長もしていたし、ブロック長もしていたので、時間もあるだろう、と思われたのですね。

民生委員が立派な仕事で、声を掛けられるのが名誉なことだというのはわかります。

でも、私は、これほど自分に向いていない仕事もないだろう、ということもわかっていたのですね。

まず、私は、おっちょこちょいです。
加えて、失言する癖があります。
さらに、他人さまのプライバシーに首を突っ込むなんて、想像しただけでも怖ろしくて、到底できないことなのです。

民生委員になれば、いやでも、他人さまの内実を知るようなことになります。
今現在、民生委員の尊いお仕事をされている方達を、尊敬はしますが、自分がその仕事をできるかと問われれば、無理ですと答えるしかありません。

結局、町内会の役員さんに納得してもらうには、仕事に出て、『時間がない』とアピールするのが一番だったのです。

③は、お小遣いが欲しかったのです。
夫が稼いできてくれるお金は、無駄にはできません。
教育費と家のローンで、さほどの余裕もあるわけではなし、
友だちと行くランチの代金や、外出着の費用くらいは、自分でまかないたいなぁと、思っていました。
美容代や本代もかかります。

そんなこんなで、
『仕事をすれば良いんだわ』
という結論に達した私は、働きに出ることになったのでした。

初めは、夫の扶養内で働いていましたが、職場の上司の勧めもあり、途中から扶養を外れ、今では週5日勤務です。
65才になるまでは、今の職場で働いていたいと思います。


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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ぱんだごろごろ
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