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富士山に会いに行く旅

こんにちは、ぱんだごろごろです。
昨日、毎年恒例の、河口湖温泉への二泊三日の旅から帰って参りました。

今年は、例年と違って、一ヶ月前には九州、大分の別府温泉を訪れており、これで、9月、10月と続けて温泉に行ったことになりました。
天下に名高い別府温泉も良いですが、やはり河口湖温泉も良いですねぇ。

旅行先が行き慣れた場所の場合、毎回違った見所を探して観光するタイプと、気に入った場所を毎回訪れるタイプとに分かれるでしょうが、私の場合は、後者のタイプ(夫は前者タイプ)。

なので、今回も定宿に泊まり、いつも行くお気に入りの場所を訪ね、のんびり過ごして来ました。



初日、雲で真っ白だったのですが、夕方近くなって、ようやく雲が切れて、頭をのぞかせてくれた富士山。

富士山について


いつも思うことですが、富士山はいいですねぇ。
こんなに文句なく良いと思えるものって、めったにないのではないでしょうか。

日本に一つしかないし、
誰もがその存在と名前を知っているし、
誰もがその形を知っている。

山って、それだけで有り難くて拝みたくなるようなところがありますね。
木を育て実を成らせ、豊かな水を蓄えて、人の生活に欠かせないものを提供してくれるだけでなく、そこで暮らす動物たちの住み処ともなる。

反面、山にいる野生動物は人間たちの脅威ともなり、豪雨による山崩れなどで自然災害を起こすこともありますが、それでも、人は、山と共に暮らして来ました。


富士山は火山だということもあり、いっそうその神秘性を増しているようにも思います。
何と言っても、その裾を長く引く、優美な姿には、毎回毎回魅了されてしまいます。


夕方の赤くなった富士山。この右側に、さらに裾野が広がります。


今回の旅行で、新たに発見したことが二つあります。

①富士山の持つ力について。
②人はたとえそれが遊びであっても、一日続けていると疲れるということ。


①富士山があれば、日本は大丈夫。

何を根拠にそんなことを、と思われるかもしれませんが、これは富士山を目の前にしていた時に、自然に湧き起こってきた気持ちです。

この山には、この国に暮らす人の気持ちを惹きつけ、一つにまとめる力があるのではないか。

まず、形が美しい。
大きい。
人でも物でも、見た目を云々するのははしたない、と思われる向きもおありでしょうが、見た目は最強の武器です。

人は、第一印象に左右されるものです。
美しさは正義です。

その点、富士山は文句なく美しい。
なだらかで均整が取れていて、端正で優美です。

そして、日本一の高さを誇ります。
大きいものには、人は、畏敬の念を抱きます。


明け方、河口湖に映る「逆さ富士」。


富士山を見ていると、祈りたくなるのと同時に、富士山からのパワーを感じます。
富士山は己を見る者に、その圧倒的な力の一部を分け与えている、
そんな風に思えるのです。

『富士山、きれいだな~』
と思いながら見ていると、富士山から放たれるオーラが、身体にふんわりとまといつき、馴染んでくる、
そんな感じです。

日々、こんな風に人々に力を分け与えていて、富士山自身は痩せ細ったりしないのだろうか。

それが、私は心配になりました。

富士山には、代わりの顔を焼いてくれるジャムおじさんはいないのです。

もし、富士山が人々にその身(力)を分け与えた結果、痩せた山になってしまい、引いては日本という国がだめになってしまったらどうしよう・・・。


そんな心配に終止符を打ったのは、誰あろう、他ならぬ夫でした。

夕焼けの富士山を撮影しようと、カメラを構える夫。

二日目、西湖のネイチャーツアーのあと、宿まで車を運転してきた夫は、夕焼けに映える富士山を見て、一刻も早く撮影したくなったのでしょう、宿に戻る時間ももったいないとばかりに、駐車場から車道を渡り、河口湖側の手すりから身を乗り出すようにして、カメラを富士山に向けました。

私には、言いようのない優しさで、自分を崇める人間たちを包み込む、富士山の麗容が見えた気がしました。

どんなに富士山が人々に我が身を分け与えようと、
夫に代表されるように、人々は、それを上回る愛(と熱狂と感謝)を富士山に返している。

だから富士山は痩せも減りもしないんだ、と。

惜しみなく与えるひとは、それ以上のものを、相手から受け取ります。
ですから、その手の中は、決してからっぽになることはない。

与え続けていれば、受け取り続けることになるんだな、と富士山から学びました。


一日遊んでも疲れることについて


私が今回学んだもう一つのことは、人間は一日遊んで暮らしても疲れる、ということです。

②人はたとえそれが遊びであっても、一日続けていると疲れるということ。

私は、60年近くの間、人間は働いたり、勉強したりするから疲れるのだと思っていました。

けれど、今回の旅で、家事も仕事もしていないのに、一日観光をして、遊んでいただけなのに、疲れるという経験をしました。

私は、今まで好きなことをしていて疲れた、ということのない人間でした。
好きなジャンルなら、いくらでも本が読めます。
同じ姿勢で、椅子に腰掛けて読んでいると、多少腰や背中が凝ることはありますが、疲れたと思ったことはありません。

疲れるというのは、労働をするからだ、楽しいこと、遊びなら、いくらしても疲れないだろうと思っていたのです。

ところが、今回の旅行で、私は、食事も作らず、後片付けもせず、洗濯ものを干したり畳んだりもせず、部屋の掃除もしていないのに、疲れてしまったのです。

具体的に言えば、午前中は夫の運転する車で山中湖に行き、紅葉を見ながら散策しました。
昼になったので、いつも行く食堂で、ほうとうを食べました。
その後、遊覧船の「白鳥の湖」号に乗って、山中湖を一周したあと、富士吉田の道の駅で、お土産を買いました。
河口湖を通り過ぎて、西湖に向かい、竜宮洞穴へ行き、足場の悪い道を下りて、お詣りしました。
その後は、西湖のネイチャーツアー、ガイドさんについて、樹海散策をします。
終わると4時半近くになっていたので、宿に戻りました。

これだけの日程でしたが、私は思わず、「疲れた」と口に出していたのです。

楽しいこと、遊びで一日を過ごしても、労働をした一日のように疲れることもある。

働くから疲れるわけじゃないんだ。

これは新発見でした。

定年退職後は、隠居生活に入り、遊び暮らす一日もいいな、と思っていましたが、古文書を読む勉強をしても、遊んでも、同じように疲れるとわかったので、エネルギーの配分を考えて、生活設計をしなくては、と思っている所です。


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
連休中ですね。
お天気も良く、皆様、楽しくお過ごしくださいね。
明日、また今回の旅行について書く予定です。

<去年の旅>


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