鰆
今日の春の季語は「鰆」。
魚偏に春と書いて「サワラ」と読む。
サワラはサバ科の回遊魚で北海道南部から東シナ海にかけて広く分布しており、体長は大きなものでは1メートル以上にもなる肉食の魚である。成長にともなってサゴチ→ヤナギ→サワラと名前を変えるいわゆる出世魚というやつで(名称は地方によって異なる)、サワラと呼ばれるのは体長60センチ以上になったものだけなのだ。
彼らは子ども時分から実にたくましくて血気盛んである。大きな口には鋭い歯が並んでいて、時には自分の体と同じ大きさ程もある魚等を食べながら、猛烈なスピードで成長していく。何でもその出世欲はかなりのものらしく、養殖しようと思って一処に囲んでおいても食い合いをして全然うまくいかないというくらいだ。
彼らは競争社会を尋常ならざる執念をもって駆け抜けていく。あんまり無理をして急成長するものだから、その体は大変に間延びして長く、しかも薄っぺらい。それで古くはサワラは狭い腹をした魚、狭腹と書かれていたのだそうだ。
もっとも元々は中国で「馬鮫魚」というずいぶん勇ましい漢字が当てられていて、それが日本にも伝わっていたようだが、江戸時代の儒学者貝原益軒が著作の中で「馬鮫魚という魚がいる。大きな魚だが腹が狭い。ゆえに狭腹と名付ける。」と紹介したばっかりに、狭腹の字が世間に広まってしまったのだという。
こんな不名誉な漢字を当てられて彼らが喜ぶはずはない。きっとあの大きな口をガダガタと震わせて怒ったことだろう。
「おのれ貝原益軒め…!」
しかし背に腹は代えられないのである。彼らはとにもかくにも一早く出世することだけに夢中なのだ。
春になると見事サワラとなった大人たちが産卵のために沿岸に集う。とくに瀬戸内海は彼らの一大繁殖地で、そのために大量のサワラたちが集まってきて、ここで漁獲されたものが京・大坂へと運ばれる。彼らは身が柔らかくて大変美味であるから、都の粋人たちがこれを放っておくわけはなかった。
「こんな結構なお魚に狭腹やなんて無粋な漢字、一体誰がつけはったんやろか。もっとええ名前つけてあげなかわいそうや。そやな、やっぱり春にぎょうさんとれる魚やて、魚偏に春ゆう字つけて、鰆はどないやろ?」
おそらく上方の数寄人がこんなことを言ったのか、図らずもサワラは「鰆」などという実に風雅な漢字を頂戴することとなった。さらに彼らの出世はそれだけに留まらず、春の風物詩として歳時記に掲載され、一句の主役として詠まれるまでになったのである。
それにしても、私はサワラが泳いでいる姿をまだ見たことはないけれど、とにかく不自然に薄っぺらくて長い体で、あまり健全なようには見受けられない。
皆さんも日々精進して寝る間も惜しんで出世を願っておられるかもしれませんが、サワラみたいに薄く長くなってしまってはいけませんから、どうぞお体は大切になさって、健康第一にしてお過ごしになられますように。
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