春の鴨
今日は近所の池でオオバン観察だ。
と言われてもオオバンが何か分からない人もたくさんいるだろうから、初めにざっと説明しておくことにしよう。
彼らは黒くて丸々と太った体に白いクチバシをもつ一風変わった水鳥で、カモのようにプカプカと水面に浮かんでいるがカモではないという何ともヘンテコな野鳥である。ヤンバルクイナなんかと同じクイナの仲間だからもともと地上で暮らすべき鳥であったが、いつの頃からか水上での生活を送るようになったらしい。そのくせ決して泳ぎが上手というわけではないので、不格好にグラグラ揺れながら必死になって泳いでいるという変わり者なのである。
それでも彼らはとても愛嬌のあるカワイイやつらだから、私はオオバンのことが大好きなのだ。それでたまにはじっくり観察してみようと思ってやって来たのである。
運良く今日は池に面した特等席のベンチが空いていた。私はそこにどっかと腰を下ろすと、カバンの中から巻き寿司といなり寿司、それから大きな菓子パンの袋を取り出した。ここで昼食を食べながらオオバンを観察しようという計画である。
オオバンたちも私の気持ちを知ってか知らずか、ベンチの近くに集まってきて何やら楽しそうにグラグラと揺れている。彼らはだいたいが温和な性格であるが、ときどき仲間同士でケンカをして追っかけまわしたりする。ただし一部始終を見ていても、一体何が気に食わなかったのかは分からない。
私はまず巻き寿司といなり寿司からとりかかる。池にはエサやり禁止の張り紙がしてあるのにやっぱりあげる人がいるらしく、オオバンたちはちらちらと物欲しげな顔で私のお寿司をのぞいている。私はこの張り紙がある以上米粒ひとつだって彼らにやるわけにはいかない。恨むなら張り紙を恨めと言って無情に食べ続ける。見物料も払わない私にやっぱり彼らも不満があるらしく、しきりにクゥワックゥワッと変な声で鳴いている。
巻き寿司もいなり寿司も食べ終えると今度は菓子パンを取り上げる。私は「この大きさで98円。これはお買い得だ」などとつぶやきながらパンの袋を勢いよくやぶった。すると驚いたことに、それまで私になどまるで興味を示さなかった池の真ん中のマガモたちが、すごい勢いで飛んできてバシャーンとベンチの前に着水したのである。どうやらカモたちは無関心をよそおって実は横目で私のことをじっと観察していたらしい。しかも彼らは相当勘が鋭いようで、「巻き寿司もいなり寿司ももらえないが、菓子パンには可能性がある」ということを知っているのである。これは普段パンをばらまく誰かがいる証拠だが、張り紙には「パンは可」などとは書いてないのだから、やはり私はこの菓子パンも彼らにやるわけにはいかない。私はそっぽを向いて菓子パンにかぶりつく。すると今度はマガモとオオバンが一緒になってガーガーと鳴きわめき、よってたかって私のことを薄情者あつかいするのである。私はいそいで大きな菓子パンを胃袋におさめてしまうと、両手のひらを彼らに向けて開き、「もうない」ことを見せつけた。
お寿司も菓子パンも食べ終わった私に水鳥たちの関心はすっかりなくなってしまったようで、彼らはてんでばらばらに解散して池の水面に散り散りになった。
マガモはまた池の真ん中に戻って昼寝を再開する。お腹がふくれた私もそれを眺めながら次第にうとうとする。特等席のベンチは日光でぽかぽかと温まって気持ちがいい。心地よい気だるさに包まれてまぶたが重たくなる。潮風のような柔らかい風が吹いて、たもとに咲いたユキヤナギの白い花がチラチラ瞬く。水面のさざ波に陽の光が当たってキラキラと輝いている。カイツブリの高い声がキョロロロロと響き渡る…。
私はぷかぷかと水に浮かぶマガモたちと全く同じ心持ちでしばしの眠りについた。体はだらりとベンチに任せてしまって、もはや立ち上がることはかなわない。池の真ん中のマガモたちもぐっすりと眠って夢を見ている。
彼らは本当にもうすぐ北国に帰って行くつもりなのだろうか。こんな気持ちのいい日本の春をあとにして、危なっかしい長旅に出るつもりなのか。
渡り鳥たちは何の衝動に駆られて飛び立っていくのだろう。今こそ飛び立とうと思う瞬間には、何かのきっかけがあるのだろうか。
それは多くの詩人や文筆家の興味の的であった。私もそれが知りたくて仕方がない。
今度カモたちがこのベンチに近づいて来たら尋ねてみようかしらん。
だけどそんな重大な秘密はきっと教えてくれないだろうな…。何しろ私は菓子パンの一つもくれない薄情者だから…。
スキ♡はnote会員以外の方でも押すことができます。会員登録していない方の場合はどなたが押して下さったのかは分かりませんが、♥は執筆の励みになりますので、面白いと思って頂けましたらぜひスキ♡→♥お願い致します🖋
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?