鳥帰る
鳥帰る。
何と哀しい季語だろう。
春の訪れに舞い上がってばかりいた私は、それが冬の終わりであるということをすっかり忘れていたのだ。
草は枯れ、木は葉を落とし、虫たちは眠り、空は曇り、そんな荒涼たる冬景色の中に飛び交うにぎやかな冬鳥たちが、どれほど私の心を優しく温めてくれていたことだろう。
それなのに、私が春めく季節にうつつを抜かしている間に、彼らはいつのまにか姿を見せなくなっていたのである。私は自らの愚かさを深く顧みなければいけない。私は何と馬鹿だったんだろう。もう冬鳥たちは遠い遠い異国へと旅立ってしまったのだ…。
親愛なる渡り鳥たちはみな友好的で気さくなやつらであったが、私の心に一番に浮かぶのはやはりジョウビタキたちの姿だった。彼らは民家の庭に実に愛嬌よく居座って、ぷるぷると尾っぽをふるって機嫌よく挨拶をしてくれた。翁のような白銀の頭をした雄は、その柿色のお腹に古き良き日本の里を忍ばせて、今や忘れられようとしている人と自然とのつながりを思い出させてくれるのである。私は彼の姿を見るたびにこころよい郷愁を感じて嬉しかった。それに雌のジョウビタキの白く縁取られた円な目は、私のすさんだ心にいつだって純情なときめきを与えてくれた。彼女たちの可憐で軽やかな振る舞いは寂しい冬に瞬く灯のようであった。
そんなふうに、ジョウビタキたちはいつも暮らしの近くにいて私を明るく励まし、楽しませ、喜ばせてくれた。私にとってジョウビタキは最も信頼できる冬の友達だった。
それなのに、彼らは私の知らない間に遠い北国へと去って行ったのだ。私は悲しかった。
しかし彼らが遠い異国でどんな暮らしをしているのか、思えば今まで私は考えたこともないのである。彼らはそこでパートナーを見つけ、子育てに邁進するのだろう。ジョウビタキにとっての故郷は海の向こうのはるかな国であり、日本は寒さをしのぐ避寒地にすぎない。彼らは彼の地で幸せに暮らしているのだろうか。やはり民家に立ち寄って愛嬌よく小首をかしげているのだろうか。私はそんなことを想像しだすと無性に寂しくなる。
けれどこの国の春に浮かれる私だって同じことなのだ。これからは楽しみが日に日に増えていく。野花は咲き乱れ、蝶が舞い、鳥が歌う。私はそんな日本の春に夢中になってジョウビタキたちのことはすっかり忘れてしまうだろう。別れなんてそんなものかも知れない。それにまた秋は必ずやって来るし、その時には彼らもきっとまたここに帰ってくるのだから。そう分かっていても、それでもやっぱり別れは悲しい。
「また明日も会えるのに、どうしてさよならはこんなに寂しくなるのだろう」と誰かが歌っていた。私の胸にはぽっかりと穴が空いてしまったみたいで、菜の花の黄色もオオイヌノフグリの青も、今の私の目には鮮やかには映らない。今はただ終わってしまった冬が恋しい。あれほど早く過ぎることを願っていた季節なのに…。
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