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春の雄鹿は密かに語る

花盛りにはまだ少し早いけれど、奈良公園の桜もぽつぽつと蕾をほどいて顔をほころばせはじめた。それが連日の春雨にうたれて今日は何とも心細そうにうつむいている。
脇道の奥では二頭の雄鹿が頭を突き合わせていて、いよいよケンカが始まるかと思って見ていると、そのうちお互いに目の上など優しくペロペロとなめだした。私は「ははあ」と思ってそれ以上は見ないでおくことにする。
桜の木陰は二人をそっと隠して、春日大社の参道には、春の行楽が次第に賑わいを見せ始めたようだ。

そのむかし空海上人のまだ若くてほとんど無名だった頃、最澄さいちょうというお方が大変親切に面倒を見ておやりになったことがある。最澄上人はのちに「日本仏教の母」と呼ばれたほどの偉大なお方で、当時から注目を集める超エリート僧であった。最澄上人は若き空海の才能を見込み、彼をある山寺の住職にしてそこで修行に励むように勧めた。何より空海が遣唐使として大陸に渡り、当時中国で最も隆盛していた「密教」の教えを体得してきたことを大きく評価していた。
そこで最澄上人は自らの愛弟子まなでしを空海に預けて、そこで密教を学んで帰ってくるようにいって送り出した。ところがその弟子はいつまでたっても最澄のもとに帰ってこず、連絡もよこさなかった。最澄は空海に手紙を書き、何度も弟子を帰すように頼んだようだが、空海が応じることはなく、ついには泣く泣く懇願するも、とうとう弟子は帰ってこなかった。
これが二人の偉大な仏教者がその後絶交してしまった本当の理由だと考えられている。
最澄上人は将来を期待した有望な弟子を失ったために悲嘆したのか、それとも、最澄とその弟子はもっと特別な関係にあったのか。
しかし最澄上人は誠実で清廉潔白なお方だったから、それもまた美しい物語として語り継がれているのである。

昨今は同性愛についてだんだん寛容な世の中になってきたけれど、世間には公表できずに心のうちで苦悩している人は今もたくさんいるはずだ。以前「子どもを産まない人間は生産性がない」とかなんとか暴言を吐いてずいぶん話題になった人がいたが、鹿の社会ではそういうことはもっとシビアなのに違いない。だけどきっと鹿には鹿で、鹿には言えない恋の事情というものがあるのではなかろうか。そういうことをとやかく言ったり、むやみに妙な噂をたてたがったり、そんな者たちはどこの社会にも必ずいるものだ。それで彼らも頭をぶつけて喧嘩するふりなどして、密かに愛を確かめ合っているのかもしれない。

さあ、今日はもう充分よく歩いた。
喫茶店でコーヒーでも飲んで、少しゆっくりしてから家に帰ることにしよう。



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