雀の子
雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
これはまたずいぶん乱暴な一句である。
歳時記を開いて頂ければお分かりの通り、雀の子は立派な春の季語なのである。俳句の主役は季語なのだ。その主役にそこのけそこのけとは何という口のききようか。
などと二百年も昔の句に文句を言っても仕方がないが、実際スズメたちは何となくいつもないがしろにされているようで気の毒だ。
私は野鳥が好きでとくに身近な鳥たちのことを愛しているが、雀にはたいして関心がないというのが正直なところである。それは彼らがあまりにも身近な存在である事とともに、その色合いが極めて地味なことに理由があるのだろう。それからもう一つ大きな問題点は、スズメたちと人間との距離感にある。
彼らはいつも人間のそばにいるくせに、一定以上には私たちに近づこうとしないのである。巣だって民家の屋根瓦の隙間につくったりするが、ツバメのように目立つところには決してつくらない。これはこの鳥が「人間は油断すると平気でヒドいことをする連中である」ということを熟知しているからに他ならない。
一体スズメたちがいつから人間とともに暮らし始めたのか知らないが、おそらく稲作が伝わった頃くらいから人のそばで生きているのだろう。つまりスズメと我々とはおよそ二千年もの長い付き合いがあるわけだ。
そもそも貴重な稲の穂を食べる害鳥であるのだから、人々にとって最も嫌われるべき存在であるはずが、なかなかそれほど嫌われ者ではないというのも不思議ではないか。もっとも実際は田畑の害虫をせっせと食べる農耕の立役者であり、農家の人も後ろめたくて声高に「スズメは害鳥だ!」などとは叫べないのである。
とにかく、スズメたちは長年の経験から実によく人間のことを知っている。それにイヌやツバメみたいな楽観的に人間を信頼する生き物に比べて、スズメたちの人類評価は極めて客観的で冷静である。古来多くの人々が人間存在について哲学してきたようだが、おそらく最も優れた人間評論家はスズメの中から現れるだろう。
私はスズメの子に観察と哲学を好む者が生まれたなら、ぜひ「人間とは」と題した一冊の哲学書をつづることを勧めたいと思う。まずそのためには、数多の平凡スズメのうちに隠れた偉大な哲学雀のことを見逃さないようにしなければいけない。彼はいつだって群れから離れて独りになり、ぴょんぴょん飛び跳ねながらブツブツと小言をつぶやいているだろう。少し跳ねては立ち止まり、小首をかしげて空を眺めて思案にふける。難しそうな顔をしてじっと水たまりを見つめているかと思うと、ツバキの花がぽとりと落ちる様子に深いため息をもらす。
彼の高い知性と抜け目のない洞察力によって描写される人間の性質を我々は素直に受けとめなければいけない。おそらくその無様な有り様にがく然とし、大いに落胆することだろう。しかしそれでいいのだ。人類は「万物の霊長だ」などと威張ってばかりいないで、少し頭を冷やさなければいけないのである。また一方で哲学雀は我ら人間の意外な良い一面だって教えてくれるかもしれない。
世界の名だたる哲学者たちも彼の論説にはこぞって舌を巻くことだろう。これはきっと世紀の一冊になる。私たちはもはやスズメに無関心ではいられないのである。我々は人類の未来のためにも一匹の天才スズメの誕生を願わなければならない。あるいは彼はもうすでにどこかにいて、チュンチュンと思索を深めているかもしれないのだ。
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