鴉の巣
大変なことが起こった。
私がいつも通る道の途中にカラスが巣をつくったのだ。子育てに奔走するカラスたちは狂気そのものであり、繁殖期のカラスめらは我が最大の敵なのである。
私はこれまで何度彼らに襲われてきたか分からない。ただチラッとその巣を見ただけなのに…。
そんな「鴉の巣」が春の季語だとは知らなかった。うららかな春を脅かす恐怖の季語である。
もっとも今は関西に住んでいるからカラスはそれほどの脅威ではない。関西人の強烈な反撃を恐れて彼らもむやみやたらに人を襲ったりはしないからだ。私が何度となくその襲撃を受けたのは北海道に滞在していたときのことである。彼らは温和な道民を見くびってめったやたらに襲いかかる。もちろんただじっと前だけ見て歩いている限りは大丈夫なのだ。それは分かっているのだが、一度襲われた恐怖心はそう容易くぬぐい去れるものではない。あの凶暴な吠え声を聞けば体がびくんと固まって、反射的にそちらを睨みつけてしまう。こうなればもうおしまいで、彼らは逃げまどう人間を執拗なまでに追いかけ回して来る。一度などは雄と雌とが左右から入れ代わり立ち代わり頭上すれすれめがけて滑空し、私はそのまま70メートルも全力疾走で逃げたことがある。
ただし彼らだって無意味に人間を傷つけることはしない。彼らは背後から静かに飛んでくると、直前でふわっと停止し、足の裏で後頭部をぐいっと押すのである。押された者はそのまま前につんのめり、一体何が起こったのかと驚き、あわてて辺りを必死で見回す。一部始終を見ていた周りの通行人は大笑いである。この時の精神的ショックは頭をくちばしで突かれるよりはるかに大きい。そのことをヤツらはよく知っているのである。
しかしそんなことは別にかまわない。所詮この人生など仮の宿、どこに居たって私は旅人である。どんな恥をかこうが、旅の恥などかき捨ててやるのだ。カラスたちよ、私が本当に怒っているのはそんなことではない。
彼らの真の悪業は、他の鳥の巣に忍び込んで雛鳥を奪い去ることである。鳥だけではない。リスなどの小動物の子らをも襲う。
自らはその巣をちらりと見られるだけで血相を変えて雛を守ろうとするのに、愛子を奪われる親の気持ちが分からないのだろうか。
私はいつかカラスたちに鬼子母神の話を聞かせてやらなければいけないと思っている。
鬼子母神。
それは仏教の守護神である。しかし元々はヒンドゥー教の鬼神であった。
彼女は大変な子煩悩で、千人もの子どもを産んで大切に育てていた。ところが彼女が子育ての滋養としたのは何と人間の子どもだった。そのため鬼子母神は人食い鬼として大いに恐れられていたのである。
そんな人々の悩みを知ったお釈迦様は、ある日彼女のもっとも溺愛する末っ子のピンガラをひそかに連れ出し、お鉢の中に隠してしまった。ピンガラがいなくなったことに気づいた鬼子母神は怒り狂って最愛の子を探し回った。しかし七日経ってもピンガラは見つからず、困り果てた彼女はお釈迦様のもとに助けを求めに行くことにする。そこでお釈迦様は彼女にこんなことを言うのである。
「あなたには千人もの子どもがいるのですから、そのうちの一人がいなくなったところでそんなに困ることはないでしょう。まあもう少し落ち着いたらどうですか。」
鬼子母神はカッとなって言った。
「何をおっしゃるのです!我が子を失ったのに落ち着いてなどいられるものですか!」
お釈迦様
「千人も子どもがいるあなたがそのうちの一人をなくしてそんなに怒り悲しむのなら、たった一人の子どもをなくした親の気持ちとは果たしてどんなものでしょうか…。」
これを聞いた鬼子母神はぐっと胸を突いて押し黙ってしまった。
「お前さんそれが分かったなら、もう金輪際人の子をとって食べるようなことはおやめなさい。」
こうして改心した鬼子母神は人間の子どもを奪い取ることをやめて、仏に帰依して仏教の守護神となったのである。そして今では子育てと安産のご利益の神様として、多くの人々の信仰を集めている。
私はこの話をカラスに聞かせてやることにしよう。彼らに脅える数多くの雛たちの命を救ってやるのだ。そして最後にこれだけは書いておかなければいけない。
カラスの足の裏は肉球みたいにぷにょぷにょしていて、蹴られるとちょっと気持ちいい。
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