先生が飛車ならキャプテンは角行、そして僕たちは歩
こんにちは。将棋ウォーズ万年1級のkigatsukebaです。
将棋にハマり出したのは高校時代の頃でそれから13年ほど経ちますが、時にはチェスや囲碁に浮気をしながらも、なんだかんだ将棋だけはずっと続けています。なぜ将棋が好きかは話すと長くなるので別の記事で書くことにして、今回は僕が高校時代に繰り広げてきた”将棋戦争”について語らせてください。
将棋戦争の始まり
なぜ将棋にハマり出したかは覚えていませんが、丁度その時期に「おばちゃんの〇〇」という携帯(ガラケー)アプリが流行っていて、その中に「おばちゃんの詰将棋」などの将棋シリーズがありました。それを友達と毎日のようにやっていたのを覚えています。今覚えば僕を将棋の世界に引きずり込み、戦争のきっかけを作ったのはこのおばちゃんだったんだと思います。
当時は「将棋ウォーズ」(将棋アプリ)のように手軽にオンライン対戦ができる環境がありませんでしたので、友達と対局するには将棋盤が必要でした。マグネットタイプのポータル将棋版、それが僕らの初号機で唯一の軍資でした。休み時間になる度に小さいフィールドを広げ、前の休み時間の続きを指します。授業中は次の一手をどうしようかと、数学の方程式の横に落書きして検討します。こうした毎日を繰り返し、着々と実力を蓄えていく日々が続きました。
しかし戦争は突然勃発しました。それはまるで真珠湾攻撃のように。そしてまるで銀冠の守りの銀が上がったタイミングで歩の突き捨てが入るように。
「はい、没収〜」
たまたま廊下を通りかかった生徒指導のA先生が放ったその言葉は、僕たちにとっては衝撃的でした。将棋が没収されるなんて思ってもいなかったからです。校則にもそんなことは書いてありませんでしたし(多分)、将棋部だってあるのに、将棋が禁止されるなんて・・。この宣戦布告の無いやり方に納得がいかない僕たちは、徹底抗戦の姿勢をとることを決意しました。
戦争の激化
徹底抗戦を決意してから1週間後、僕たちは2、3、4号機を順に投入し、着々と軍資を蓄えていきました。最初は1台しか保有していなかった将棋盤は3台になり(うち一台は木の板)、僕らの休み時間将棋もかなり充実してきました。良い対局にはギャラリーも集まるようになり、隣のクラスの人も指すようになったりと、小さな将棋ブームが巻き起こりました。自分たちで詰め将棋を考案するようにもなり、教室の後ろの小さな黒板では「今日の詰将棋」を公開していました。
しかし経済が順調に成長してきたときに、再びA先生による襲撃が始まりました。圧倒的な権力と軍事力を前になす術がない僕たちは、一瞬で全部隊を壊滅させられ、再び全ての軍資を失うことになりました。
それでも諦めない僕たちは、次に自作の将棋盤を”紙”で作成しました。紙で作った理由は「没収される原因が家から輸入したモノであったから」「廊下から見られても将棋だとは思われない」と考えたからです。
しかしステルス機能を搭載した最新鋭の5号機も、新しく持ち込んだ6号機とともに呆気なく撃墜されてしまいました。
終戦
こうしてこの将棋戦争は僕らの領地が植民地化されることで終戦を迎えました。しかし将棋に対する想いが無くなったわけではない僕たちは、新たな大地の開拓に成功しました。それが部室でした。ハンドボール部に所属していた僕は部室こそ誰にも見つからないオアシスと判断し、そこに将棋場を勝手に作りました。休み時間こそできないものの、放課後は部活をサボってそこで将棋を頻繁に行うようになりました。
しかしここでの生活は長くは続きませんでした。部活をサボって将棋をしているところをキャプテン率いる反乱軍に見つかり、あっけなく撤退を余儀なくされました。そして部活への引退までの強制労働を余儀なくされてしまいました。
こうして約半年間に渡るこの戦争は完全に終結し、学校には平和と将棋をしてはいけないという秩序だけが残りました。
そして今
将棋は今でも人生を楽しむツールの一つです。友達とオンラインで指したり詰将棋を解いたり、たまに将棋カフェなんかに行って知らない人と指してみたり。こんなに自由に将棋が指せる時代が来てほっとしています。
あの頃は将棋番組といえばNHKでしたが、今ではAbemaTVやYouTubeで名棋士の対局がたくさん見られます。将棋に対する世間の熱はまだまだ燃え続けています。
僕らが燃え始めた十年ほど前。将棋に対する世間の関心は弱く、肩身の狭い思いをしていました。でもたしかに授業中に詰将棋を考えていた時間がなければ、もう少し良い大学に行けていたかもしれません。今となってはあの戦争が仕掛けられた理由も理解できなくはありません。1歩ずつ成長し、いろんなことを経験してきてそれが分かるようになりました。あの頃は引き下がることを知らなかったのですが、人生においては1歩下がって状況を俯瞰して見ることも大切だと知りました。
もしかしたら僕たちは今、歩ではなく”と金”くらいには成長しているのかもしれません。
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