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くうねるはたらくときどきあそぶ

こんにちは。
さっきテレビでチラ見した日本人のおなまえという番組で、1984年に大盛況だったとある花形職業の養成所の映像を見て、懐かしさを覚えた木賀ちお🐧48歳です。

さて問題です。そのころの花形職業とはなんでしょう?

正解は





コピーライターでした。

当たりましたか?
ちなみに番組のゲストの人はこの答えを一発で当ててしまいました。
もしこれが芸人だったらバリ叩かれているところだと思うのですが、アイドルなので古舘伊知郎の軽めのつっこみ程度で済んでいました。芸人じゃなくてアイドルで良かったですね。

コピーライターというと、大御所糸井重里さんや仲畑貴志さん、そして今では小説家としての方が有名ですが、林真理子さんも元はコピーライターとしてキャリアを始められています。なんだかビッグネームばかりですね。
その影には、無名のコピーライターがごまんといて一時代を築いたのでしょう。
今のYouTubeみたいですね!

当時どれぐらいコピーライターの需要が大きかったかというと、例えばアイドルにさえもキャッチコピーがついていたりしたのです。とにかくありとあらゆる商品にはコピーが必要ということを、世の中の人が信じる時代の始まりでした。

雑誌やテレビコマーシャルにはさまざまなコピーが溢れ、常に面白い言葉が耳から目から次々に入ってくる贅沢な日々でした。

中でも私のお気に入りだったのは、井上陽水さんが出演していたセフィーロという車のコマーシャルのキャッチコピーで、「くうねるあそぶ」というものです。

世の中の三大素敵なことです。

考えてみれば、私が日々垂れ流しているnoteのテーマも、極限まで要約すればくうねるあそぶに尽きるのです。

そう考えると、昭和のコピーライターってマジすげえな。

あまりのすごさに私の語彙力も崩壊するというものです。

実際、くうねるあそぶだけの日々というのは、ワーカホリックの私の場合は、長くやっていると飽きてしまうので、やっぱりはたらくが欲しくなるのですが。

はたらくことの良いところは、休みを楽しみに出来ることです。

ずっと遊ぶだけの日々だと、ただただ時間を浪費している気持ちになって焦ってしまうのです。嗚呼貧乏性。

たまたまチラッと見たテレビで、ちょっと面白かった時代のことを思い出して書いてみました。

それにしても、おニャン子クラブの女子高生ブームからも、オールナイトフジの女子大生ブームからも外れている、田舎育ちの団塊ジュニア世代の私にとっては、コピーライターという仕事は、憧れの存在にもならないほど遠くて非現実的なものだったなあ。

というわけでオチは特にないですが今日はこの辺で。
また明日。










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