力士と文通していた中学時代の話
こんにちは。
noteは、ノーストックノーアイデアでいきなり書き始めるその日暮らし派の木賀ちお🐧です。
私は中学3年間という貴重な青春を、部活(ソフト部)の顧問による鬼のようなシゴキのために、大変につらい気持ちで日々過ごしていたのですが、そんな私にもひとつだけ、地獄の部活などすっかり忘れてしまえるような、心のオアシスがありました。
小学生の頃までは普通のアイドル好きな子どもだったのが、どういうわけか大相撲の沼にハマってしまったのです。推しは横綱双羽黒こと北尾光司さん。
場所中はテレビにかじりついてドキドキしながら北尾関の登場を待ち、ニュースのスポーツコーナーも各局チェック、新聞のスポーツ欄を食い入るように読み漁り、横綱に昇進したときには泣いて喜び、相撲雑誌を定期購読するような、渋い趣味の世界に生きていました。
同級生達がチェッカーズや、光GENJIの切り抜きを下じきに挟んでいるのを横目に、私は横綱の切り抜きを、これでもかとレイアウトしていたのですから、一風変わった人間として扱われていたかもしれません。
そんな私を友達は半分呆れた目で見つつも、良い感じの写真を新聞で見つけると、わざわざ切り抜いて学校に持って来てくれたりしました。
そればかりか、お寿司屋さんで目撃した双羽黒関の巨大ポスターの情報(当時横綱はマグロのコマーシャルをしていたのです)を教えてくれ、私が欲しがると、お寿司屋さんに交渉して私にポスターを譲ってくれる段取りまでつけてくれたことがありました。
学校帰りに友達と2人で、お寿司屋さんに双羽黒関がマグロを持って笑っているポスターをもらいに行ったのは、私の中学生活のハイライトです。
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当時は今と違って個人情報保護法がない時代だったのですが、私が定期購読していた相撲雑誌には、力士達の詳細なプロフィールが写真付きで掲載されていました。
話はそれますが、当時毎年発売されていた、野球の選手名鑑も、選手一人一人の住所が掲載されていたのですから驚きです。
ちなみに、ポスターを手に入れてくれた友達は大洋ホエールズの屋敷選手にファンレターを送ったら、お返事としてサインをいただいたこともありました。
今では考えられませんよね。
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話を戻します。
力士のプロフィールが載っている相撲雑誌を見て、私が何をしたかと言えば、まだ有名ではない力士にファンレターを書くことでした。
横綱にファンレターを出しても、沢山貰っているだろうから、きっと読まれないに違いないと思ったのです。
そこで、まだ誰にも知られていない、私だけの推し力士の発掘を目論んだのでした。
幕内力士が1人もいない部屋の、まだ髷も結っていない序ノ口の力士にターゲットを絞ったのは、単に掲載写真の顔がタイプだったからです。
ファンレターにどんなことを書いたのかは、すっかり忘れてしまったのですが、私が送ったファンレターを喜んでくれて、手紙の返事と写真と番付表を送ってくれたのがとても嬉しくて、今でも忘れられません。
なにしろそれが生まれて初めて本物の力士から送られた番付表だったのですから。
序ノ口の力士というのは、番付表の一番下に、読めないほど細かい字で名前が書かれています。
そのため、その力士は自分の名前の部分に、番付表にマーカーで印をつけて送ってくれました。
なるほど、よく見ると細かい文字ではあるものの、ちゃんとその力士の四股名が書かれていました。
まさか本当に返事がくるとは思っていなかったので、驚いたものの、嬉しかったのですぐに返事を書きました。
その人が写真を送ってくれたので、私も庭で妹に撮ってもらった制服姿の写真を現像して同封したのを覚えています。
そこから、力士との文通が始まりました。
序ノ口とはいえ、角界に入ってから毎日厳しい稽古をし、力士としての日々を送っているので、私が知らない相撲の世界の話や、普段お相撲さん達がどんな生活を送っているのか色々と教えて貰えることに、ものすごい優越感を感じていたのを覚えています。
ただの中学生なのに本物のお相撲さんと知り合いであるというその状況は、もはやファンタジーでした。
ただ、力士とはいえ年の近い男の子です。確か当時17~18歳ぐらいだったと思うのですが、私がもうすぐテストだと手紙に書くと、励ましてくれたのを覚えています。
力士と言えば地方巡業ですが、私の住んでいた地域は、地方場所の時に相撲部屋が多く滞在する地域から、電車で一時間程度のところにありました。
場所で近くに来る頃には、手紙だけではなく電話でも話すようになっていたので、実際に会ってみたくて、どうやったら会えるかを画策したのですが、父に計画がバレてあっさり阻止されました。
確かに中学生を1人で、行ったこともない場所にある相撲部屋に向かわせるなんて、ちょっと心配です。
でも、私が親だったら娘を相撲部屋に連れて行くにちがいありません。
自分でつないだ縁で、そんな面白そうな体験が出来る中学生は、そうそういるものではないのですから。
親の監視が厳しくなり、当時は携帯電話もなかったので、電話もなかなかかけづらく、毎場所力士から送って貰う番付表と、手紙のやりとりだけが唯一の繋がりになりました。
最終的には、その力士が怪我のために引退することになり、最後にもらった手紙で自宅の住所を教えてもらいましたが、新幹線に乗らなくては行けないほど遠く離れた地だったため、中学生には会いに行くこともかなわず、文通をやめました。
30年以上経つ今でも、時々元気にしているかな。と思い出します。
きっと一生会う機会がない相手だったのだと思いますが、どこかで元気に楽しく生きてくれていたら嬉しいです。
それから、私が大好きだった元横綱双羽黒、北尾光司さんは、2019年に鬼籍に入られたとのことです。花の三八組なので、私とは10歳しか変わらないというのに残念です。
元北尾ガチ勢を代表して、ご冥福をお祈りします。
今日はここまで。また明日。
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