クリスマスキャロルが流れないところには……
モロッコ。
そこは、クリスマスに家族で集まることも恋人達が一緒に祝うこともジングルベルが鳴り響くこともない、魅惑の国。
2012年12月24日一般的にクリスマスイブと呼ばれるその日、30歳の私はクリスマスツリーを見上げる代わりに、モロッコの観光都市マラケシュのフナ広場でひとり、蛇使いを眺めていた。
モロッコの国教はイスラム教のため、キリストの誕生をお祝いするクリスマスの文化はない。最近のことは分からないが、当時は街中にサンタはいなかったし、キラキラしたイルミネーションもなかった。
クリスマスのひとり旅。
マラケシュのごちゃごちゃした街中を歩いていると色々な人から声がかかった。ほとんどが客引きだったと思う。
その中に前歯が一本抜けている将棋の加藤一二三さんのような顔をした青年(以下ひふみん)がいた。なんともやる気がなさそうに「面白い場所があるから連れていってあげるよ」と言われた。なんでかな。いつもならついていかないんだけど、その時はヤバいかヤバくないか考える前に好奇心のほうがまさった。
一応女子ひとりなので、距離感や逃げ道を確保しつつ、ひふみんに付いていくことにした。
ひふみんは観光地っぽい場所をあちこち連れていってくれた。中にはガイドブックには載っていないような穴場のスパイス屋さんや、雑貨屋さんなどもあり興味深かった。ひふみんのやる気は相変わらずなさそうだったが、英語でガイドをしていることがうれしそうではあった。
が、私は薄々気付きはじめていた。こやつ、さては最後の最後で「ガイド代くれ」などと言ってくるのであろう。知っておるぞ。ま、それでもいっか。モロッコのメディナ(旧市街)は入り組んでいて、地図をみてもわからない。まるで迷路のようだし、ひとりじゃとてもじゃないけどあちこちいけないもんね。
しかし私の疑いとは裏腹に、ひふみんから金銭を請求されることは最後の最後までなかった。
それどころか、昼食には奥さんが作ってくれた魚のタジンを、おやつにはミントティーと焼き菓子までごちそうしてくれた。
別れ際、「こんなによくしてもらって本当にありがとう」とお礼を言った。
「モロッコの文化に興味を示してくれたのがうれしかったんだ。マラケシュを好きになってくれるとうれしい」
そう言いながらひふみんは歯の抜けた顔でニコニコと笑っていた。
クリスマスになると、クリスマスキャロルの代わりにアザーンが流れていたあの日をふと思い出す。