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【子供とワクワク旅育@福島・被災地への旅(2)浪江】震災遺構・浪江町立 請戸小学校
夏休みに震災の数日後に生まれた中学生の娘との福島旅行にでかけました。
1泊2日の旅でやはり一番心に残ったのは、震災遺構・浪江町立請戸小学校です。
その時の1泊2日の旅のルートは、以下の記事をチェック!
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請戸小学校のような学校を震災遺構としたものはほかにもたくさんあるようで、請戸小学校ではそういったスポットのパンフレットが設置されていました。
ほかにも「あるようで」と書いたのは、事前に購入したまっぷるマガジン「福島」にはこういった情報はほとんど掲載されておらず、現地ではじめてこのことを知りました。
浪江エリアは関東から自家用車なしではアクセスが難しいエリアです。
HISスタディツアーでは定期的に福島へ子供と行けるスタディツアーが行われていて、現地の食文化などを体験できるものも多いので、時間的余裕があれば、HISのツアーをチェックしてみるのがおすすめです。
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請戸小学校 震災遺構ではあるが、奇跡的に被害者ゼロの小学校
請戸小学校が被害者ゼロであったのは、いくつもの奇跡が重なっていたことを、行きのバスでガイドさんが紹介してくださいました。
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また、小学校の内部には「請戸小学校物語~大平山をこえて」のページが解説板とともに設置されていて、何がこの日、請戸小学校の子供たちと先生に何が起ったのかよくわかりました。
人気のない請戸小学校の周囲
まず驚いたのは、請戸小学校の周りには、請戸小学校以外の建物は何一つなく、人の気配がしないこと。
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当時は畑の中にところどころ民家が点在し、漁港の海辺には家が集まる集落があったはずですが、今では、請戸小学校の向こうには新しく植えた松の苗木、その向こうに堤防、その向こうに太平洋の気配が広がるばかり。
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1泊2日の旅のルートの記事に貼ったマップを後で見てわかりましたが、現在も帰宅困難地域となっているためなのかもしれません。
その様子を実際に見ると本当に震災から10年を越える月日がたっているのに、これまでは眠っており、むしろこれからが本格的な復興なのだなという事実がのしかかってきます。
震災の時に今にも生まれようとお腹にいた子が中学生になって一緒に訪れたこともあり、そのことを強く感じました。
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海辺の小さな小学校請戸小学校の入り口はとてもシンプル。
まずは請戸小学校の震災前の姿を知る展示から。
続いて実際の小学校の中を見て回れるようになっています。
請戸小学校で感じる津波の破壊力
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展示の半ばぐらいからは、親子3人言葉もなく思い思いに解説板を見ながら回りました。
3人ともあまりしゃべりたい気持ちにもならず、しゃべってもいい場所だという気持ちもしませんでした。
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母の私は、小学校のパソコンや水道などの小さな部分にかかった津波のチカラにせまってくるものを感じました。
子供たちは、卒業式の準備がされた体育館の床が大きくゆがんでいる様子にショックを受けたようでした。
2階エリアは、東日本大震災の実際の資料映像や、年表などが展示されています。
このエリアも親子3人別々に回りました。
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長女は震災当時の様子を伝える映像や展示の前で、次女は震災を乗り越えた当時の子供たちが、今思うことについての作文の前で長く時間を使いました。
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2011年3月11日、今もあの日のことが忘れられない。
立っていられない程の横揺れ。聞いたことのない波の音の恐怖。そして両親への胸騒ぎ。思い出すだけで涙が出る。
新しい場所での生活が始まったころは不安と寂しさが混じり合っていた。
あの日から10年。長いようであっという間の10年だった。何度も辛い、悲しい、寂しい気持ちに押しつぶされそうになった。しかしそれを吹き飛ばしてくれるような楽しい時間を作ってくれる人たちが私を支えてくれた。
この10年で支えてくれる人たちに助けを求める大切さ、感謝の気持ちを身をもって実感することができた。
この先、両親が望む大人になれるように、両親の分も生きられるように頑張ろうと思う。
何かあったら浪江へ帰るよ。
私は絶対に忘れない「請戸の思い出」「3月11日」を。
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あの震災から10年が経った。
非常に長かったようにも、気が付くと去っていったようにも感じる10年だった。
今年の春、私は浪江に帰町した。
大平山の頂上、海岸線を望む高台の公営住宅で私は再び浪江での生活をはじめた。
「請戸」の地名が付く住所にまた住むことができたのは感慨深いものだった。同時に困惑した。
暮らせど暮らせど、浪江に帰ってきた実感がまったくと言っていいほどわかなかった。
自分はもはやこの変わりきった浪江を故郷として認識できていないのか。
そう思うと恐怖さえ感じた。
そんなとき、久々に請戸小学校に立ち入る機会があった。そこにはあの時と同じ姿で私を迎えてくれる教室があった。
その時はじめて、「浪江に帰ってきた」という実感がわいたような気がした。あの校舎は震災前の私たちの記憶と震災後の記憶の両方を深く刻み、それらをつなぎとめてくれる唯一の存在なのだと強く感じた。
どうかこれからも浪江を、請戸を、そして私たちを見守ってほしい。そう願わずにはいられない。
とくに、上記のこの2つの文章は娘と一緒に見ていて私も胸に迫るものがありました。
震災当時生まれていなかった子どもは、震災遺構に来なければ私が当時見たものを見ることはなかった
周りながら、私は聞くともなしに一緒に回っていた別の親子の会話を聞くともなしに耳にはいってくるのを聞いていました。
子供「ぼく、こんな震災の映像は一度も見たことがないよ」
親「そうね。あの日からしばらく、人が波に飲み込まれていくような映像が流れていた。特に検閲もうけていそうではない映像。だけれど、今はもうああいうニュース映像は決してTVで流れることはないわね」
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この会話が耳に入ってきて、私が「福島」や「原発」でイメージするものを、子どもが同じ知識で受け止めているわけではないんだなということを、改めて意識しました。
娘2人も親子の子供のようにこの映像や様子をここで初めてみたのだなと。
うちの娘2人は不安を感じる状況やはじめての場所にいくときは、2人でぎゅっと手をつないで歩いています。
請戸小学校でも前半は2人でぎゅっと手をつないでものも言わずに解説を読みまわっていました。
しばらくしてそれぞれ分かれて丁寧に展示をみていました。
請戸小学校は被害者が出なかった奇跡の小学校です。
ほかの震災遺構では被害者がおり、さらにショックを受けただろうと思います。東日本大震災と向き合う最初の一歩が請戸小学校であったことは、向き合う最初のハードルを少し下げて向き合えた気がします。
また機会を見つけて、ほかの遺構を周っていきたいと思います。
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