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【癌日記】夫の実家のお墓に入りたくない問題と夫母の入院
抗ガン剤中、スキンヘッドの頭で夫の実家に帰省したくない問題。。。
苦肉の策で11月の帰省の時には夫の実家近くに宿をとった。顔は見せても夫の実家に泊まらないと私が言ったことで、このときも「それなら帰省する意味がない」とか「話す時間がない」とか滞在している間中、夫の母はずっと不満を言っていた。
あまりに言うので夫の母親に「スキンヘッドの頭でふらふら歩くのが気が引けて」とついもらすと「私は全く気にしないわ」と言う。
もうっ。あなたが気にしなくても私が気にするって言ってるでしょうという感じだった。
夫母はものすごく可愛がっている自分の娘が癌になり抗がん剤治療で脱毛した頭を血のつながらない親戚の前でさらしたくないと言っても、私に言うように、誰もあなたの見た目なんて気にしないからスキンヘッドを曝せというようなことを言うのだろうか? と思った。
寂しい😞
しかも、何時間もの時間をかけて帰省しても、お金も結構かけて帰省しても「会えてうれしい」とか「帰ってきてくれてありがとう」という言葉はない。
毎回行く直前に来ると分かっている前提で何度も「帰ってこなくていい」と電話をしてきて、実際に帰省している間も「帰省する時間が短すぎて帰省する意味がない」と「話す時間がない」となんども言う。
夫には、「帰ってこなくていい」が「そんなに心配して苦労して帰ってこなくても大丈夫だよ」という親の愛情あふれる言葉に聞こえ、「帰省する時間ば短すぎて帰省する意味がない」が「もっといっぱい話したいのに、帰ってきたことはものすごくうれしいけど、帰ってしまうのが寂しいからこんな風に言ってしまう」と受け止められても、血のつながらない、ここに縁もゆかりもない私には、そういう風には聞こえにくい。
こういうわかりにくいコミュニケーションはずっと一緒にいる関係性。相手と自分がほとんどまったく同じ思考ができるとわかっている場合だけに成立するものだ。
あなたの大事な娘と息子は瞬間的に理解しても、年に数回会うだけの息子の妻の私はまず言葉通り受け止め、そしてよくよく考えて、いやこれはこういう意味なんだろうとあなたの一言一言をいい方に解釈してようやく受け止めるんですよ。元気なときにはそれがまあできてもこっちも体調が悪いとそれはかなり難しい。
これまでは、夫の母の方が私より先にお空に行ってしまうのだから、そういのは全部受け流して、夫の母がなくなった後にゆっくりどうしたかったのかを考えていけばいいと思っていた。
実際、帰省している時間以外の時間は子育てと仕事で毎日が忙しくてあまり考える余裕もなかった。
ただ、この寂しい気持ちを18年近く毎年毎年重ねていて帰省するタイミングの憂鬱がどんどん重たくなるのを感じるけれど、まいっかと思うことにしておくというぐらいだった。
自分自身が癌になると、関東で暮らす夫や娘と離れてこんな冷たい人が墓守をする島に埋葬されたらたまらないという気持ちになった。
11月に帰省して、夫の母の様子を見るにつけそうい気持ちがさらに強くなり、年末に帰省するときには夫の母に、夫よりも先に私がお空に行ったときには、島の墓には入らない。夫が私より後にお空に行ったタイミングで夫と私を一緒に島のお墓に入れるのか、娘たちが関東で通いやすい実家の墓のところに一緒にいれるのかを決めてもらうことにしたと伝えるつもりだった。
私としては、夫母にとっては不十分で不満な息子の妻であっただろうけれど、出来る限りのことはしてきたけれど、しかもお空にいった後には意識もないのに、お空に行くまでお墓のことを考えると心が冷える時間をつくらないための苦肉の策という感じ。
このあたりのことは夫とも娘たちとも話してそれぞれが納得したと思う。
それなのにここに来て、夫の母が首の骨を折って入院した。
首の骨の骨折はキツイ。首を固定されてただベッドに横たわって首の骨がくっつくのを待つ。半年が予定されている。
私なら悪夢だと思う。
夫の母はもう85歳になる。
人生の最後に近いタイミングでベッドにくくりつけられている人に私が島の墓に入らないというと、ベッドの上で「〇〇さんのお嫁さん墓に入らないって言ってるらしいわよ」と村の人にうわさされることで憤死しそうになるんじゃないかと思って一端矛を収めようと思う。
それどころか、丹精しているミカン畑を心配しそうな夫母のために来年の春からは島で行われているミカン農家の学校に行って、すくなくともミカン畑がなんとか保たれている様子を夫母に見せてあげたいというような気持ちにもなって自分でも驚く。
ただ、そんなことをする能力は私にはなく、しても夫の母は喜ばない。
処理の仕方が悪い、段ボールの積み方が悪い、草の取り方が悪いという指摘をして万が一元気になったら、今も私が作った料理、洗った食器を全部自分でやり直すように、同じようにするんだと思う。
なんだかなー。
田舎の完璧な主婦は、人を受け入れられずに孤独に死ぬことが多いのは、もう何の呪縛なんだろう。と、夫の母や夫の母の周囲の女性たちを見ていて思う。
いや、そう考えること自体が、失礼だったり、生きている世界の違いなんだろう。
ただ、一端、振り上げた矛はふるわずに、この年末も自分としてはベストをつくして田舎で過ごしてこようとは思う。
まあ、それでも今回も夫の実家とは別にホテルをとった。
入院前に夫母はこの件について「まあ仕方ない」というようなことを言っていたけれど、入院している今はどうなんだろうな?
年末年始に毎日私が顔を見せても「さっさと帰ってちょうだい」というのだろうなー。
私が作る料理が口に合わない夫父も今回も食事にほとんど手をつけないかもしれない。
義理の関係って難しいよね。
こんなことをしたら喜ぶかな? と思いながら何かをして実際に喜ばれることは贅沢なんだと知った。
癌になると思う、建前とか形式とかって何なの?
私の時間は私と会うことを喜ぶ人と、例えば私の両親や兄弟なら一緒にいる時間にこいう経験をしなくてすむ人と使いたいと思う。
会えてうれしー。次はどこ行く? 何する? ってなる人と一緒にいたいと思う。
今年の年末で夫の母とは決別するつもりだったけれど、一端延期。
夫の母には、半年の入院を乗り切って、元気に寿命をまっとうしてほしいと思う。
ただ、ごめんなさい。夫の母が元気になったら、この関係は終わりさせてください。
夫母の話をすると私の母も「私の弟の妻からそんな風に思われてるのかしらとドキドキするわ」という。そのときに私と妹は「そう思うなら、なおさら感謝やお礼や、喜びは100倍にして表現したらいいじゃない。感謝もお礼も0円だよ」と言ってゲラゲラ笑う。
世代や世界が違う人には、いつもの100倍感謝やお礼を伝えてコミュニケーションをとっていきたいと思う。
建前? 社会的役割? 何それ美味しいの?
このマガジンは私が49歳で卵巣癌と子宮体癌に罹患した日々の自分と家族の記録です。娘(高1)娘(中2)夫&猫の4人と1匹ぐらし。ワーママ。何とか1日でも健康に命をつなぎたいと毎日試行錯誤しています💦
▼がんの闘病記は以下のマガジンにまとめています。
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